日々棒組み644 しのぶのことを思い出して考えたことなど

今でこそこの年齢の平均身長に落ち着いている私だが、小さい頃はデカかった(なんだそりゃ?)。
正確には「他の子より成長が早かった」ということだが、幼稚園から小学校の写真を見ると同級生より頭ひとつ飛び出している。目立つ目立つ。

あれは小学1年生の、たぶん入学して間もない春、白尾山への遠足での出来事。
出発前、担任のあしざわ先生がしのぶ君の手を引いて私のところへやってきた。
しのぶ君は知的障害のある子で、2年生になったら「なかよし学級」に入るが、1年生では私たちと同じクラスで過ごす、そういう子だった。
あしざわ先生は引いてきたしのぶの左手と私の右手をしっかり結ばせ、その上に自分の手を重ねてこう言った。

「いい?しらおさんにつくまでこのてをぜったいにぜったいにはなしちゃだめだよ。しのぶくんはわかんないからこのてをはなしたらはしってってくるまにどぉんってぶつかってしんじゃうんだからね。いい?ぜったいにぜったいにはなしちゃだめだよ」

さあ大変。
「ぜったいに」って四回も言われちゃった。
こうして、体は大きいがオツムはこないだまで幼稚園児だった私に重い責任がのしかかってきた。
私は緊張しつつも白尾山までの道中、(ちょっと怖い)あしざわ先生から言われたことを忠実に実行した。
私としのぶの手は汗でベタベタになり、しのぶはずっと脱走を謀ったが、私は力の限りしのぶの手を握り続けた。しのぶはなしたらくるまにどぉんしんじゃうしのぶはなしたらくるまにどぉんしんじゃうしのぶはなしたらくるまにどぉんしんじゃう…。

今思えばあんなに強く手を握られていたらしのぶじゃなくても逃げ出したくなるだろうが、その時の私にはそんなことわからない。ただもう必死に手を握って歩き続けた。楽しげに歩いている同級生がうらやましかった。なぜ自分だけがこんなことやらされるんだ?なぜぼくは他のみんなと楽しく遠足に行けないんだ?歩き疲れるにつれて不満もつのる。しのぶがいなければこんなことしなくていいのに。

白尾山に着き、私はしのぶから解放され、他の同級生と思う存分遊び、お弁当やおやつを食べた。
そして帰りの時間。
遠くに、しのぶの手を引くあしざわ先生が見えた。二人は私の方へ歩いてきた。一直線に。

遠足の後もあしざわ先生は何かと私にしのぶくんの面倒を見させ、私は「しのぶくん担当」みたいになっていった。といっても大抵は「手をつないでろ。そして歩けと言われたら歩け」というような単純な指令だったが。俺は重石か?
しのぶは言葉が喋れなくて、「あー」とか「うー」とか言うばかりで、彼に話しかけられても何を言いたいのか私にはわからなかった。それでも一度だけ、彼が言いたいことが理解できたことがあった。痛いほど。

あれは世間で「アーム筆入」が大人気だったころ。
「象が踏んでも壊れない」というコピーで売れていたサンスターの「アーム筆入」だが、身近に象もおらず、筆入れを踏まれる心配もない私は特に欲しいとも思わなかった。
ある日の休み時間。教室で数人のクラスメイトと話していると、しのぶがやって来た。何か興奮した様子で、手に持ったものを指差してしきりに声を発し、何か訴えている。
手に持ったもの。透明緑色プラスチック製の筆入。
しのぶはひとしきりのアピールを終えるとその筆入を床に置き、両足でジャンプして筆入を踏みつけた。
バリンと音がして筆入のフタが縦に割れた。
私たちはその時知った。象が踏んでも壊れない筆入は、しのぶが両足ジャンプして踏みつけると壊れる。

壊れた筆入を見た時のしのぶの顔は、五十年近く経った今でも忘れることができない。
何だろうあの表情。驚き、落胆、悲しみ、それらが入り混じり、世界に裏切られたようなあの表情。

しのぶは筆入を拾い上げ、もう私たちなどそこにいないかのように首をかしげながら去って行った。
残った私たちはちょっと笑ったかもしれない。でもそれよりもあっという間の出来事にびっくりしてあっけにとられていたように記憶している。

2年生になりクラスが変わっても、学校で会うとむこうから声をかけてくれた。あいかわらず何を言ってるのかわからなかったので適当に受け答えしていたが、事情を知らない同級生に不思議がられたりした。自分のことを覚えてくれてるんだな(失礼な言い方だが、その時はそう思った)、と思うとちょっとうれしくもあった。

相模原市の「津久井やまゆり園」のあの恐ろしい事件の後、テレビで犯人の言動が伝えられた時、私はしのぶのことを思い出していた。

障害者は生きていても無駄?
障害者は死んだほうがいい?それで世界が平和になる?

そんなことはない。そんなことはないんだ。

beautiful Japan?

そんなJapan、醜いにもほどがあるだろ。

驕ってはいけない。

働けるとか働けないとか役に立つとか立たないとか経済に貢献するとかしないとか、そんな単純な物差しで人の幸不幸のすべてを測れると思うな。命の要不要を勝手に決めるな。

私は、体が大きかったこともあって、いじめっ子みたいなこともしていて、女子にもずいぶんひどいことを言ったりと、質の悪い子供だったなぁと、思い返すと恥じ入るばかりだが、しのぶとのことだけはちょっと自分の救いになっている。一方的な自己満足だけどね。でもそれでいいんだ。大事な思い出だから。
しのぶとは中学を卒業してから会っていない。消息も知らない。
無断でブログのネタにしてしまったが、まぁ、許してくれよ、俺のおかげでくるまにどぉんてならなかったんだからさ。


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