“ 今なら間に合います!! ”

木星爆破直前にブラックホールの新しい観測データを入手して、本田主任に最後の微調整を申し出た超素粒子工学の天才少年カルロス・アンへレスのセリフ

小説版を読んで映画に対する期待値がマックスに達した素朴なSF少年(増刊1号参照してください)。
夢の映画『さよならジュピター』。のはずだったのに、期待値はいつどこで、そしてなぜ下降した?

本田英二は三浦友和

映画『さよならジュピター』への期待値は、小説版を読んだ直後が最高で、その後下降し続けました。
下降し始めたのは、主人公の本田英二役が三浦友和と知った時でした。
違う。
友和なんか違う。
素朴というより単細胞だった私には、本田英二は草刈正雄のイメージでした。
同じ小松左京原作の映画『復活の日』『エスパイ』に出演していたのと、何より外見がSF向きだと思っていたからです。
それは、『宇宙海賊キャプテンハーロック』がアニメ化される時、ハーロックの声は広川太一郎に違いないと思い込んだり、『機動戦士ガンダム』放送前にキャラクターデザインを見た時にシャアの声は市川治に決まってるだろあたりまえだろ、と勝手に思い込んだのと似ていたかもしれません。わかりにくい例えで誰にも届かないかもしれませんが、素朴な田舎ものゆえの思いこみだったのでしょう。もうひとつ、三浦友和だと日常感が強いような気もしました。木星を吹っ飛ばして地球を救うよりは、家庭や家族を守る役のほうがお似合いに思えました。
月刊スターログでは、1983年の7月号に出演者の紹介が載っています。
マリア:ディアンヌ・ダンジェリー(誰それ?)
ウィレム博士:レイチェル・ヒューゲット(誰それ?)
アニタ:小野みゆき(戦国自衛隊!)
ムハンマド・マンスール:岡田真澄(マグマ大使!)
その他ジュピター・ガールズ役の名前が4人くらい並んでますが、みんな「誰それ?」なので割愛します。

下がる期待値、上がるハードル

キャスト発表で私の期待値は下がりましたが、製作サイドの自己設定レベルは製作発表時から上がりっぱなし。
「世界に恥じないSF映画を」から始まって、「『2001年宇宙の旅』はクリアしたい(のちに小松左京は「なんとかクリアした」と言ってた)」まで、公開前の映画を制作側が誇大広告するのは普通にあることですが、完成までに時間がかかった分、期待値を上げ続けなければならなかったのかもしれません。
この間、小松左京は「東宝の怪獣映画が日本のSF映画をダメにした」みたいなことを言っていたり、ブレーンストーミングに集った若いSF作家はいわゆる「SFアニメ」と呼ばれてるものに対して「あんなものはSFじゃない」などと言ってみたりと、直接関係ないところでせっせとハードルを上げていました。
私はといえば、下がった期待値はその後上がることはなく、いろいろ映画の様子が見えてくるにつれてむしろ下がっていくばかりでした。映画公開の1984年といえば、もう『スターウォーズ』から始まったSF映画ブームがさらに展開して『エイリアン』や『ブレードランナー』に至っていたので、『さよならジュピター』公開に向けて目にするビジュアルにも、「なんかちゃちいー」感じがしてしまったのです。
期待値は下がる一方でしたが、当時の自分を「SFファン」と規定していた素朴な私は、義務を果たすように劇場へ足を運びました。

『さよならジュピター』劇場公開

劇場で購入したパンフレット

33年前に劇場で観た当時の感想は、
全体としてはつまらなかった。
少しだけいいところもあった。
というところでしょうか。
「あそこはがんばってた」なんて言われる映画は「要するにダメ」ってことですが、劇場で観た時にいいと思ったシーンがふたつあって、ジュピターゴーストの登場シーンと岡田真澄の登場シーン、特にブラックホール接近に初めて気づくシーンは良かったです。あ、あと木星の輪も一瞬ですが、きれいでよかったです。
あとは、何も感じないか気恥ずかしくて見ていられないシーンの連続でした。
お芝居のことはよくわかりませんが、日本人俳優の普通の日本語のセリフと、演技素人の棒読み日本語、英語他外国語、吹き替え音声、が何の統一感も法則もなく(ピーター日本語でしゃべって歌うし)ボロボロボロボロ投げつけられてきて戸惑うばかりでした。
宇宙船などのメカもデザインに見飽きてたんだか他に問題があったのか、あまり感じるものはなかったように記憶しています。
ストーリーは大きくは小説版と同じなので、何がどうなるか全部わかって見ちゃってるから、スペースアローが遭難しようが、ブラックホールが接近しようが、最後の作戦が妨害工作で危うくなろうが、ハラハラドキドキはまったくないんですね。どうなるか知ってるから。小説版を読んだ時の自分の脳内のイメージとの差をわざわざ測りに行ったような感じでした。
じゃあ小説を読まずに、まっさらで観たら面白かったかというとそうも思えなくて、いろいろ唐突でわけわかんなかったんじゃないかな。ツルーっと進んふ〜んと終わったと思います。
期待値が下がっていたとはいえ、がっかりして劇場を出ました。
当時は「SFムラ」という言葉もあって、SFファンというだけで連帯感がある時代でした。私もSFファンのひとりとして、SFムラの端っこに籍を置いているつもりでいました。
映画『さよならジュピター』は、そのSFムラの住人たちの期待をあおるだけあおって、見事に裏切ってくれたのです。
公開後、映画の出来にがっかりしたファンの声が月刊スターログにも載りましたが、それに対して『さよならジュピター』のブレーンストーミングに加わっていた作家の高千穂遥がスターログ誌で「SFファンなんだから批判ばかりでなく建設的な意見を言うべき」「小松左京があそこまでやってあの出来なのは日本映画界のせい」というような意見を載せました。
あの映画が公開された後に意見を述べるのは勇気があるなと思いましたが、同時にその内容は見苦しいな、とも思いました。第三者が言うならともかく、製作に近かった人間には言う資格がないお言葉。
製作にあたってそんなこと言ってなかったじゃん。
「日本映画界で作ったんだからこんなもん」なんて逃げ道はなかったはずじゃん。それともそれはSFムラ住民だと勝手に思っていた私の勝手な思い込みだったのでしょうか。
高千穂遥は、アニメ『機動戦士ガンダム』の放送打ち切りが決まった時に、ファンが放送続行を望むなら、やるべきは放送続行の署名運動などではなく、スポンサーのおもちゃを買うべきだと、まっとうで合理的なことを言った人で、私は信用できる人だと思っていたのですが、『さよならジュピター』に関するこの発言はどうしても納得がいくものではありませんでした。
こうして私はSFムラから籍を抜いたのでした。

増刊3号に続く


オマケ:こんなところに『さよならジュピター』


この記事とは関係なく、昔入会していた「ジャパン・スターウォーズ・ファンクラブ」の会報を見ていたら、偶然『さよならジュピター』の記事が載っているのを見つけました。映画の紹介と、小松左京の挨拶、予告編の写真多数。全16ページの会報なのに5ページが『さよならジュピター』情報。なんの会誌だよ。
でもこういうところが「SFムラ」時代ならではなのかなぁ、とも思いました。

 

 

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