日々棒組み667 『人生が二度あれば』を聴きながら

井上陽水の『人生が二度あれば』を聴いて思うことといえば

1.両親の人生を気づかえるまでに成長したお前こそが両親の宝じゃん。

と感じるか、

2.人生が二度あっても、同じような社会に同じような人格が生まれたら同じような人生おくるに決まってんじゃん。そうじゃん。意味ないじゃん。

と感じるかでずいぶん違う人生を歩むだろうな、ということ。
2みたいな感じ方に対しては、人生は二度ないのは当たり前なので、そこじゃないだろ、というのが普通の感じ方だと思うのだが、なんだろ、2みたいなことを言う人たちのほうが今では正しいもんづらしてるような気がするんですね。
なんか狭いとこに(そして浅いところに)土俵を設定して狭いルールも押しつけて「ほら勝った」と鼻の穴広げて「ふんっ!」みたいな。
私も2みたいなことを言うことがあるけど、でもそれって狭いよね、と思いもしつつです。
ルールを作ったもん勝ちというのはあるにせよ、細かいルールをせっせと作ってポンポン投げ合ってるような、そんな気がする初秋のおっさんです。

 

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