便秘気味なんですね。
え?
俺がね。
若いころはそんなことなくて。むしろ逆で。通勤の時に “むしろ逆” になると大変だったなぁ。辛かったなぁ。我慢しながら駅のトイレに行くの。局部的に力が入っちゃって。でも「私はうんこを我慢してませんよ」って顔で歩くの。
そんな心配が無くなった今は幸せだなぁ。

(*というわけで今日はそういうお話なので苦手な方は読まないでくださいね。)

便秘気味な私ではありますが、出ない日はあるけど食べない日は無いのでいつかは出なくてはいけなくて、ある日出るんですね。大量に。
そりゃもう呆れるくらいに。
私はそういう日を秘かに「うんこの日」と呼んでます。

気持ちいいんです。「うんこの日」。
体じゅうの汚いものを出し切って、きれいになって生まれ変わったような感じ。みそぎを済ませた、みたいな気持ちよさ。
高倉健の映画で理不尽な仕打ちに耐えに耐えた高倉健がついにブチ切れて大暴れする瞬間、みたいな爽快感。
これから「うんこの日」じゃなくて「健さんの日」って呼ぶことにしよう。
嘘だよ。
呼ぶなよ。健さんに悪いから。

そんな気持ちのいい「うんこの日」ですが、最初に便通をふさいでいる硬めのやつを排出する、っていう関門があるんですね。肛門に関門があるんです。
これがけっこう大変なんですが、この苦労の先には素晴らしい瞬間が待ってると思うとついつい力んじゃうんです私。
で、不思議なことに力んでる時には頭の中でなにか同じ歌が繰り返し流れてたりするんですね。
『マグマ大使』の主題歌とか。

今思い出したけど、便秘じゃなくて “むしろ逆” 時代に我慢しながら駅のトイレに向かう時にもなんか頭で歌が流れてたな。
『ルパン三世』の歌詞付きのオープニングとか。
♬まぁっ赤な〜バーラはぁ フフフフンフフフフン
あ、歌詞知らねーやこの歌。

人間の体は肛門近辺にうんこがあると音楽が再生されるようにできてるのだろうか?
あのあたりに右向き三角のボタンがあるのだろうか?
のど自慢に出る人はケツに力を入れてそのスイッチを押すのだろうか?

どこまで話したっけ?(上へスクロール!)

あ、そうそう。
で、『マグマ大使』の歌を何回繰り返してもフタをしている便が出ないこともあって、力みすぎて脳の血管が切れても困るので、ほどほどであきらめることにしています。
そんな時は後日リベンジです。リベンジ。
リ ベン ジ。リ!ベン!ジ!便ジ!

なぜオヤジギャグを押し売りしながらこんな汚い話を延々書いているかというと、私、夢を見たの。
「うんこの日」の夢を。

夢の中で私は、なぜか和式の便器にまたがって、肛門に硬くフタをしている便を出そうとふんばっています。今日が待ち望んだ「うんこの日」だとわかってふんばっています。
現実の「うんこの日」と違うのは、頭の中で歌が流れるのではなく、「うんこの日」を文章で表現しようと試みているところ。
こんな感じに。

私の体の排出口は固く閉ざされていた。
凝固した大便がそれみずからと、後に続くものたちの進行を妨げているのだ。
腹部から下腹部へ。断続的に力を入れる。力の入れ具合やリズムを変えてみるが排泄口のフタはなかなか排出されない。
「ああ、これはまるでこの日本という社会そのものであるな」
体は排泄行為に忙しいが、脳は暇を持て余し、いらぬことを考え始める。
「ぜんたい日本社会を覆うこの閉塞感といふものは便秘にさも似たりではないか?
脳髄を凝固させた老害たちがみずからの生に固執するあまり退場を拒み、おかげで後に続く者たちは進むことも引くこともかなわず、能力を生かすこともなく、個人も社会もただただ停滞し続ける。
だがはて。この、道をふさぐ凝固は独立しているのか、それとも腸内で硬さのグラデエションを描いているのだろうか?
日本社会と便秘の類似性を考察するにあたっては一考に値する疑問であるな」
などと思い至ったところで凝固した老害が排出され、やや硬めの世代が続き、最後に大量のやわらかめの世代がすべて糞壺に落ちていった。
やれやれ。
まるでこれは日本社会の行く末を暗示するようではないか。

なんつって夢の中でこんな長文考えてなかったけどね。そもそもこの長さじゃ覚えてらんねーし。

でも、出そうとする時(もしくは出すまいとする時)に同じ歌が頭で繰り返すのはありゃ、体に、もっというと肛門まわりに神経を集中してるから脳は単純なことしかできなくなってんだな。こんなめんどくさいこと考えてらんないな、きっと。

blinkpanda