『2001:キューブリック、クラーク』を第5章まで読んだら

ゴツい本の話題で取り上げたマイケル・ベンソン著『2001:キューブリック、クラーク』“Michael Benson, Space Odyssey: Stanley Kubrick, Arthur C. Clarke, and the Making of a Masterpiece”をせっせと読んでます。


2001:キューブリック、クラーク

まずは第5章までの感想を

なんせA5判で600ページくらいあるゴツい本で、全12章ありますが、まずは第5章までの感想を。
ちなみに第5章の最後はP.210なので約三分の1ですね。
「第1章プロローグ」で映画の初公開時のことに触れ、以降は時系列に沿って進行します。
第6章のタイトルが「製作(プロダクション)」なので、第5章までは、キューブリックが「クズとみなされない最初のSF映画を作りたい」と思ってから(1964年頃らしい)、映画『2001年宇宙の旅』の撮影が始まる1965年12月の前までにあたります。

映画初公開時(第1章 プロローグ──オデッセイ )

プロローグの記述によると著者は、初公開時(1968年)、クラークのファンだった母親に連れられて観に行ったそうです。その時6歳だったそうです。
1968年に6歳ということは私と同い年ですね。6歳の私は当時何をしていたでしょう?はい。『ウルトラセブン』とか見てた頃ですね。
なんて話はどうでもよくて。

今では「SF映画の最高傑作」とされている『2001年宇宙の旅』ですが、初公開時は観客にも批評家にも評判が悪く、中でもアンドレイ・タルコフスキーとレイ・ブラッドベリという、映画界とSF界両側からも厳しい批判があったそうです。
タルコフスキーは「芸術性の欠如」を、ブラッドベリは「テンポの悪さ」を気にしていたようです。それらの指摘もわからなくもない気もしますが。

クラークに接触(第2章 未来論者)

「クズとみなされない最初のSF映画を作りたい」と思い立ったキューブリックは題材を求めてSF作家のアーサー・C・クラークに接触します。
キューブリックは『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』“Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb”が公開、絶賛されていた頃で、絶好調、一方クラークはすでにセイロンに移住していましたが、イギリスでの結婚の失敗、妻への慰謝料問題(別居はしていたがまだ離婚していなかった)、セイロンでの税金問題などいろいろ問題を抱えており、絶好調のキューブリックとは対照的に書かれています。
しかもクラークは、長年映画界に食い込もうとしていたそうで、同じSF作家のハインラインやブラッドベリが映画に関わる仕事をしているのをとても意識していたそうです。
二人の状況がそんなだったので、その後クラークはかなりキューブリックに振り回されることになりますが、忍耐強く、自分の都合を後回しにしてでもこの映画に関わり続けます。

緑のこびとが出てこないSF映画(第3章 監督)

クラークはセイロンからニューヨークへやって来てキューブリックと対面します。クラーク47歳、キューブリックは36歳だったそうです。
ここで二人はSF一般の話から、クラークの小説や個々のアイデアについて語り合ったそうです。まだまだ映画の方針を探っている段階ですね。
ふたりはまた、数々のSF映画を鑑賞しますが、キューブリックの感想はどれも “気恥ずかしくなるほど底が浅く、お粗末な出来”でした。
これ、『禁断の惑星』『地球の静止する日』『月世界制服』に対する感想です。
クラークはそれらの映画に対して“恐ろしく寛容”(キューブリックの印象)だったそうです。
クラークはSF的アイデア単体にもそれなりの評価を与えていそうですが、キューブリックはそれだけではなく、映画全体の完成度が高くないものは認められなかったんでしょうね。
ちなみに当時の世間一般のSF映画に対する認識は、“ポルノグラフィティと五十歩百歩” 、“緑のこびとが出てくるもの” などと書かれています。

どんどん映画の話っぽくなってくる(第4章 プリプロダクション──ニューヨーク)

第3章まではアイデアを練る段階でしたが、ここらから映画製作っぽい話が増えてきます。業界がらみの話題とか。
アイデアが生まれていく段階も興味深いのですがちょっと地味でもあるので、生まれたアイデアが企画として広がっていくこの段階はとっても面白いです。
『博士の異常な愛情』を “非愛国的で不快” だったと感じた映画会社の保守派の役員が公開日や予算などの関して嫌がらせ的なことをしていたとも書かれています。
映画には「夢」があるとは思いますが、ナイーブなだけでは作れないようです。

そんな生々しい話もありますが、いよいよ映画を具体化する作業が始まります。イギリスのスタジオに選ばれたデザイナーやアートディレクターやその他プロフェッショナルたちが集まって来てプロジェクトが大きく動き出す雰囲気はワクワクします。
いよいよ彼もやってきます。誰?

そしてダグラス・トランブルがやって来た(第5章 ボアハムウッド)

ボアハムウッドというのはイギリスの地名で、撮影場所として選ばれたスタジオがあるところです。
プロジェクトは大きく動き出し、大掛かりなセットも作り始められますが、ものすごく具体的になっている部分がある一方、まだストーリーの細部や結末は未定のまま進行していたそうです。
しかも具体的になっていたと思ったらキューブリックのひと言で大きく変更されたりして、みなさんかなり振り回されていたようです。
この辺りも他人事なので面白く読めました。
いつもそうなんでしょうかキューブリック。

そんな中、ダグラス・トランブルがボアハムウッドにやって来ます。
今や伝説のSFXマンのトランブル。
当時は、アメリカの会社勤めのイラストレーターとしてキューブリックの仕事に一時関わってはいましたがその後会社とキューブリックの関係が切れ(イギリスに行っちゃったので)解雇、収入を補うため小さな家具会社で勤めはじめたものの、

そこは本当の居場所ではない

と思っていたそうです。
キューブリックとの刺激的な仕事が忘れられない彼は、やや反則気味にキューブリックの連絡先を手に入れ、ロンドンにいたキューブリックに直接電話して自分を売り込みます。
トランブルの話を聴いたキューブリックは言いました。

よし、きみは仕事にありついた

ボアハムウッドに到着したトランブルでしたが、そこですでにおびただしい数の活動が進行しているのを見て、来るのが遅すぎたのではと心配しましたが、全くそんなことはなく、実際にはやることがいくらでも残っていたそうです。大きな大きなプロジェクトだったことがわかります。

トランブルはここでキューブリックの信頼を得て、大活躍するのですが、キューブリックに振り回されている人々への気遣いも忘れない人でもあったようです。さすが伝説マン。

この章では人間模様の他に、あの、古びない未来感を実現させた方法も具体的に書かれていて、「アナログをデジタルに見せる」とか「機器の奥行きを隠す」とかいうキーワードをいかに達成したかがわかります。
この辺りを読んで私は映画を観直しました。なるほど面白い面白い。
巨大な宇宙ステーションのセットも完成、モノリスも完成、宇宙服もできて、いよいよ撮影が始まります。
キューブリックは宣言します。

さあ、とりかかろう

映画の結末はまだ決まってないみたいです。

2001:キューブリック、クラーク


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2001年宇宙の旅(吹替版)

 

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