535 なんと35倍である!の巻

先日の箱根旅行。
男女8人で朝のロマンスカーから飲み始め、彫刻の森美術館散策後館内で中華料理を食べながらひと飲み、夕食では宿の冷えたワインを飲みつくし、その後の部屋飲みでは館内の自動販売機が売り切れになるまで飲み続けるという、どうかしちゃったんじゃないかという旅行であった。
翌日の飲食まで話を広げるとたがの外れっぷりがさらに顕著になるが、きょうは部屋飲みの時のお話。

そもそも学生時代のプールの監視員のバイト仲間で、30年以上の付き合いで、思い出話は豊富。
その上、ひとりが当時の写真満載のアルバムまで持ってきたものだから「こいつは誰だ?」だの「あいつは今どうしてるだの」「こいつは今やすっかり頭髪が無い」だの盛り上がる盛り上がる。
そんな話の合間に、どこでどうつながったのか忘れたが、ひとりが語りだした。
「ある統計によると、人というのは、誰かに何かをしてあげた時、その“してあげた”、という感覚を、相手の印象より35倍強く感じるものらしい」
さっきまで誰かが誰かの水着を借りたらパンパンだったとか、救護室の担架に縛り付けられてプールに放り込まれて死にそうだったとかで大笑いしていたみんなも、もの静かに語る友人に聞き入っている。
「そ、そうなんだ。35倍…」
「統計によるとね」
「ってことは逆に言うと何かをしてあげても相手は35分の1にしか感じないんだ」
「統計によるとね」
「じゃ、奥さんに35万円のものを買ってあげても1万円にしか感じないってこと?」
「とーけーによるとね」
ちょっと違うような気もするが、しばらく35倍、もしくは35分の1の話になり、やがてお開きとなった。

翌朝。
昨晩の夕食での飲みっぷりを見ていた仲居さんに「よく起きられましたね」と驚かれながら朝食の席に着いた。部屋の空き缶の山を見たらもっと驚くだろうよ。
そこでも何人かが生ビールを注文し(私は飲めなかった)、楽しい会話の中、朝食が始まった。
途中誰かが誰かに醤油をとってあげたかした時に、お礼を言われた方が、
「35回取ってあげないと伝わらないけどね」
と言ってみんなを笑わせた。
すると、昨晩その「35倍話」をした友人が口を開いた。
「ある統計によると、人というのは、誰かに何かを…」
すぐに察した者がすかさず言う。
「きのう自分でその話したじゃん!覚えてないのー?」
「え?ウソ」
ぜんぜん覚えてなかったようだ。
まったくもう。なんて楽しい人たち。
旅行から帰ってもこの「35倍話」は私の頭を離れず、今でもいろいろ考える。
何をやっても相手が35分の1しか感じないなら、そもそも「人に何かしてあげた」なんて気持ちは持ってはいけないんだ、とか。
いいことは35分の1しか伝わらないけどひょっとしたら悪いことは35倍になって相手を打ちのめしてるかもしれない、いじめたほうは忘れていてもいじめられたほうは一生忘れないとかよく聞く話だしな、とか。
まぁ、謙虚に生きろってことかな。

ということでこの「日々棒組み」も謙虚になって、同じ番号で35本書いたら番号をひとつ進めるって方式にしようかと思ったけどやめた。35も数えるのめんどくさいからね。
それと、誰も気づいてないと思うけどこの「35倍話」、日々棒の通し番号「535」でご紹介できたことをこの場を借りてご報告させていただきます。
次に番号つながりのネタをやるのは「556」。
「物は錆びる、体も錆びる、いわんや心をや」というありがたいお話しをしてあげようね。
忘れなかったらね。

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