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キシワタリ天涯地 18(拡張版)


 泰裕という名前は私の父がつけました。私たち夫婦はもう少し今風っていうか、そんな名前をいくつか考えていたのですが、主人の両親も賛成して、泰裕に決めました。私は知りませんでしたが、昔の柔道の選手の名前だそうです。泰裕が生まれる前に名前は決めていました。

 生まれた時は2,827gでした。主人が「もう1gでニヤニヤだったね」なんて変なことを言ったもので覚えてるんです。友人に3,800近い赤ちゃんを産んだ人がいて「楽だったでしょー」なんて言われましたが、そんなことはなくて、付き添った主人が言うには、病院中に私の悲鳴が轟いていたそうです。

 10月10日の深夜でした。
 翌朝私と主人の両親がやって来て病院で順番に写真を撮りました。
初めての赤ちゃんでしたが、母も義母も近くに住んでいたのでよく面倒をみてくれて助かりました。
私は母乳があまり出なくて、ほとんど市販のミルクでしたが、二人のおばあちゃんはそういうことをまったく気にせず、むしろ良いミルクをせっせと探して買ってきてくれました。世間では「母乳でなければ」とプレッシャーをかけられることもあるとよく聞きますが、うちはそういうことはありませんでした。

 布団に置かれたら置かれたまま寝ているだけだった泰裕も、やがて首がすわり、寝返りを打ち、おすわり、はいはい、つかまり立ち、とできるようになり、当たり前のことができるようになるたび、いちいち喜んで誰彼なく報告していました。
少し歩き始めた頃、家族三人で行った近所の公園でのビデオがありますが、なぜ子供は歩くだけでこんなにうれしいんだろうと不思議になるくらいの笑顔で歩く泰裕が映っています。そして私たちの笑顔も。
ただ歩いているだけなのに。
小さな子供には不思議な力があります。

 幼稚園に入る前くらいまでは夜中に高熱を出すことが多くて、よく座薬を使いました。初めはこんなものお尻の穴に入れて傷つけてしまわないだろうかと恐る恐るでしたが、すぐに慣れて、さっさと入れられるようになりました。

 幼稚園の入園式の時、泰裕はなんて小さいんだろうと思いました。
平均より小柄だと、数字ではわかっていましたが、公園でいろいろな年齢の子供と混じっているとあまり感じませんでしたが、同年齢の子供たちで並んでいると思うと、一番前で体に合わない制服を着て立っている泰裕がとても弱々しく、儚く、まだまだ守ってあげなくてはと思いました。
でも本人はそんなことは感じていなかったようで、毎日楽しそうに過ごしていました。帰ってきてはその日の出来事、新しいお友達の話もよくしてくれました。それまでは、おとなしくてちょっと考え込んでしまうような性格だと思っていましたが、幼稚園でみんなと過ごすうちに、男の子らしい活発な面が出てきたようでした。

 お絵かきも好きな子で、よく私の顔も描いてくれました。でも、顔の横に必ず「ありがとう」って書いてあるんですね。主人の顔を描いた時も同様でした。
ちょっと不思議に思ってたんですが、あれって、母の日に幼稚園でおかあさんの顔を描いた時に「ありがとう」って書いたのを覚えていて、親の顔を描いたら「ありがとう」と書き添えるものだと思っていたようですね。

 年長さんになった時に自転車を買ってあげて、初めは補助輪をつけて乗っていたのですが、主人と相談して、夏休みから補助輪をはずしての練習を始めました。1歳の頃、歩いて笑っていたあの公園です。
最初はこんなんで乗れるようになるのかと思うくらいどうにもならない感じでしたが、一週間もかからないですいすい乗れるようになりました。子供ってすごいですね。
自分が自転車の練習で苦労した記憶があり、夏休み中に乗れるようになればいいやくらいに思っていたので、ちょっと気が抜けてしまったのを覚えてます。
普通に自転車に乗れるようになった泰裕がしばらくして言いました。
「もう じてんしゃのれるようになったから ほじょりんつけて」
意外な言葉にあきれて笑ってしまいましたが、親の思いとはギャップがあるんだなぁと思いました。

 小学校の入学式でも相変わらず一番前でしたが、幼稚園に入った時のような弱々しさや儚さは感じませんでした。自転車もそうですが、幼稚園にいる間にいろいろなことができるようになっていく泰裕を見ていたので、子供というのは少々のことには自分で対処して、順応していけるのだとわかったからだと思います。
親というのは自転車の補助輪のようなものでいいのかな、とその時は思いました。ひとりで走れる間ははずしてしまっておけばいいもの。

 でも、そうではなかったのです。
ついていなければならなかったのです。
私がついていないあの朝、泰裕は命を奪われました。いまだ犯人は捕まっていません。

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 犯人は、前日に会社をリストラされ、会社の寮からも追い出された藤谷圭一という男だそうです。目撃者もたくさんいて、名前も顔も身元もわかっているその男はまだ捕まっていません。事件からもう10ヶ月になります。
テレビや新聞では藤谷の会社での勤務態度や人間関係、リストラされた経緯などを調べ上げ、藤谷があらゆることで追い詰められていたと言っています。頼れるひともいなかったのだと。
だからどうだというのでしょう?
やったことは断じて許せないけれど社会が彼を追い詰めた面もあるだのとみな口を揃えて言います。
だからどうだというのでしょう?
犯人と社会とで罪を償うとでも言うのでしょうか?

追い詰められていれば罪のない小学生を二人も殺したことの言い訳になるのでしょうか?
自分の本当の敵と向き合うことも、まして立ち向かう勇気もなく、みっともなく尻を振って逃げ出し、卑劣にも弱いものを狙った犯人に、ほんの少しでも逃げ道を用意してあげるのはなぜでしょう?
通り魔は必ずこう言います。
「誰でもよかった」
嘘をつくな。
お前たちはいつもその卑屈に歪んだ眼で弱いものを探し出し、後ろから襲いかかっているではないか。

 私にはあの朝からしばらくの間の記憶がひどくあいまいです。なんだかボロボロに穴があいていて、どうにもつながらないのです。

 やっと記憶がつながりはじめたのは事件から2ヶ月ほど経ったクリスマスの頃からでしょうか。プレゼントに、泰裕が欲しがっていたゲーム機を買わなきゃ、と思って、でも「もうそういうことは必要ないんだ」と気づいた時からです。
泰裕の部屋で、ランドセルや教科書、私がひとつひとつ名前を書いたこまごまとした文房具を手に取りました。
もう誰も使わないもの。大好きで毎月買ってあげていた漫画雑誌。泰裕が続きを読むことはありません。
使うはずだった鉛筆、ノート、食べるはずだったご飯、読むはずだった漫画、着るはずだった服、どれももう必要ありません。
大学卒業までに備え入った学資保険、行くはずだった家族旅行の旅費、支払うことはできません。成績や健康状態に一喜一憂したり、交通事故に遭わないか心配したり。もう泰裕のために何もすることができません。

 正直、なぜうちの子が、と考えてしまうこともあります。できるだけその言葉を頭から追い出したいと思ってはいます。他の子ならよかったのか、と。でも考えてしまうのです。

 事件後、大人が登校班に同行するようになり、今も続いています。でも、初めは何人か父親もいたようですが、最近は母親や年寄りばかりで、同じようなことが起こった時に防げるのか心配です。主人もそれに参加しようとしたようですが、なにか他の人に距離を置かれているようでやめたそうです。みんな、事件を忘れたいのです。あれは一度だけの特別なできごとで、もう以前の、平和な日常に戻ったのだとみんな思いたいのです。みんな。自分の子を殺されなかったみんなは。
私たちは平和な日常から切り離されてしまったのです。

 悲惨なばかりの事件。泰裕の命を奪い、私たちをみんなから切り離した事件。そんな中でひとつだけほっとする話もありましたので書いておきます。

 命を奪われた泰裕や、武部やよいちゃんの他にも怪我をした子や、事件を目撃して心に傷を負った子供がいたそうです。
ある女の子は学校へ行けなくなってしまいました。大人が同行することもその子には関係なく、ただただ怖がるばかりでした。二年生の子です。
いろいろなひとが話を聞きましたが、その子が言うには、犯人をやっつけたおにいちゃんがいる、と。どうやら犯人藤谷を止めようとした男子生徒が二人いて、その子たちをヒーローのように思っているようでした。
そのふたりはすぐにわかりました。軽傷でしたがふたりともあの朝怪我をして治療を受けていたのです。今は六年生になっています。

 その女の子の親が訪ねて事情を話すと、ふたりで交代でその子の通学班に同行してくれることになりました。ふたりとも遠回りになるのにいつも一番早く来てその子を迎えてくれるそうです。

 この世には、弱いものを探しては襲いかかる卑劣な者もたくさんいるけれど、この少年たちのように、強くて優しい高潔な存在も確かにいるのです。
ずるくて汚い犯人には相応の報いを。そして、優しく、勇気あるふたりの少年にはたくさんの、神様、いくつもいくつもたくさんのいいことがありますように。


(旭小事件で亡くなった和田泰裕くんのお母さんの手記)

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「来てよ。くぼやん」

「ん」

「六年生で誕生会なんてバカにされそうだけどさ。来てよ」

「バカになんて」

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「くぼやん四年生の時に誘ったらそんな幼いことやってられるか!って断ったじゃない」

「そうだっけ?」

「いいけどさ。
誕生日が夏休み中だと誰にもおめでとうしてもらえないしさ。
お母さんもずっとやってきたし最後だからって。
いちねんからずっと同じクラスだったじゃない。来てよ、くぼやん」

「ん」

「そういえばくぼやんちって引っ越したの?」

「なんで?」

「きのう第三公園の方から来てなかった?朝」


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 「ああ、ちょっとな。気分な。なぁ、三珠、あいつは、春加瀬は誘ったのか?」

「え?くぼやん、知らないの?」

「なにを?」 

(以下、お母さんの手記から削除された部分)


穴だらけだった記憶がつながるようになったのは、ある不思議なできごとの後でした。
ある夜、ベッドの中で眠れずにいました。あのころはそんなことが多く、昼も夜も自分が起きているのか眠っているのか、そもそもその区別があったのかも判然としないのですが、外から変な声が聴こえてきました。
言葉のようなんですが意味がわからない。外国語なのかもしれませんが、それにしても聴いたことのない不思議な響きでした。外国よりもずっと遠い遠いどこかの言葉のようでした。

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声はひとつではなく、町の中、あちこちから聴こえてくるようでした。私はベッドを出て、主人が隣にいたはずですが起こすこともなくひとりで、寝室の窓を開けて外を見ました。
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なぜか。

私には町じゅうの様子が見えました。
なぜか遠くまで、何かに覆われてゆくこの町の様子が見えたんです。

気づいた時はベッドの中。もう朝になっていました。
出勤のため先に起きていた主人が寝室をのぞきこんで言いました。

「なんだか夕べはひと晩中救急車が走り回ってたな。なんだったんだろう?」

このあたりで急に突然死が増えたのはそのころからだったと後で知りました。
それは今も続いています。


つづく
キシワタリ天涯地 18 2016.04.24
拡張版更新 : 05.08

→19.わかれ

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