羽生善治の日常目線と千里眼。『人工知能の核心』を読んだら

将棋って全く知らなくて、駒の進め方すら知らない。子どものころ挟み将棋とかはやったことあるけど、誰かに勝った覚えがない。
そんな、知性のかけらもない私ですが。
羽生善治といえば「将棋のなんかすごい人」くらいしか知らないそんな私ですが。
この本は良かったです。

羽生善治 著『人工知能の核心』

なんていうか、羽生善治って品がいいですよね。
成功者が “合理” の名の下に、少しでも矛盾や時代とずれたシステムやその中で生きる人を斬って捨ててはドヤ顔でもてはやされる風潮のある昨今。羽生善治は古かろうが矛盾していようが「今あるもの」はそのまま受け入れて考慮すべき対象としている感じがする。ふところが深いというのはこういう人のことをいうのでしょう。

本題は人工知能ですが、将棋はずっと前からゲームソフトやデータベースといったものを利用して発展する段階に入っていたので、人工知能とも相性がいいというか、話題にするにはいい組み合わせのようで、羽生善治の例えも将棋を知らない私にもわかりやすいものになっています。

“将棋の世界は、データベースとインターネットの登場以降、最先端では流行が本当にめまぐるしく変化するようになりました。正直なところ、今の棋士はその知識をフォローするだけでも、かなりの時間と労力を必要としている状態です。
なにしろ新しい手が編み出されて、それがはやったかと思うと、すぐに研究し尽くされてしまうというような状況が、この十五年ほど続いているのです。”(本書第五章より)

情報量に関しては現在のほうが圧倒的に恵まれていると言いながらも、

“しかし、大量の情報に流されて、自分の頭で考えなくなってきているのも、また確かなのです。
一見して効率的なことが、実は自らの能力に少しずつハンディを背負わせているのかもしれません”(本書第五章より)

増える一方の情報を利用する際に大事なこととしてこんなことも言っています。

“過去の情報の蓄積を惜しまずに捨てていく覚悟も、常に持っています。”(本書第五章より)

そしてそのためには経験が(将棋ならば対局が)必要だと言っています。

“取捨選択の「捨てる方」を見極める目こそが、経験で磨かれていくのです。
その意味で、これまでに遠回りをした経験の積み重ねも決して無駄にはならないと思っています。喩えて言うなら、経験によって “羅針盤” の精度がだんだん上がっていくイメージです。”(本書第五章より)

いちいち腑に落ちる言葉の数々。
いつになく引用が多くなっていますが、読みながら大事だと思うところををマーキングしていたらマーキングだらけになってしまいました。
それだけ無駄がない本だと思います。
極端な発言で注目を集めてドヤ顔するやつなんかより、迷いも予測不能なことも認めた上で全部包み込んで推論を展開する羽生善治の謙虚で品の良い合理的な言葉にこそ耳を傾けるべきだと思いました。


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