「骨折日記」とか言いながらぜんぜん日記っぽくならないまま今日は12月31日。負傷したのは12月7日だが、クリスマスもとうに過ぎ、なんと大晦日。明日は昭和100年だ。
「骨折日記」はまだ負傷3日目。四週間のブランクを日記っぽく埋め立てる試みを開始。
12月9日(月):
午後また病院へ。様子を訊かれギプスのちょっと痛かったところを調整。指から甲、手首のちょっと先の外側だけ硬い素材で固めてあとは包帯とテーピングなので取り外せるのだ。手の甲と指が青黒くて、明らかに左手と色が違う。
10日(火):
午前中に会社からPCが届き、在宅勤務開始。自宅のWi-Fiには繋ぐなと言われていたので、会社のスマホであーしてこーして接続。
そんなに忙しい時期ではないが、メールやら電話やらの対応はそれなりにある。
午後病院。ギプスを外し、一部ズレていた骨を押し込む。「どぅわっ!」とか叫んでやろうかと思ったが時間も短く、初回ほどは痛くなかったので叫びそこねた。
そして再度ギプス。今度は小指と薬指の指先から、手首と肘までの中間あたりまでガチガチの硬い素材で巻かれた。さっきまでのは様子見の簡易ギプスだったのね。固定されてる!という安心感もあるが、三角巾で吊ると「俺重症」アピールがかなり強まる。こうなると「一人じゃ何もできません」という気持ちが高まるから不思議だ。
11日(水):
病院定休日
12日(木)〜28日(土):
水曜日以外は毎日リハビリ。ギプスに窓のような四角い穴を開け、超音波治療。終わったらギプスの窓の蓋をテーピングと包帯で塞ぎ、動かせる三本(親指中指人差し指)を開いたり閉じたり握ったり伸ばしたり。肘や肩も動かしておしまい、の繰り返しの日々。
この間で痛みも徐々に緩和し、動かせる三本の指にもやや力が入るようになり、できることも増え、風呂では背中も洗えるようになった。とても他人には見せられないポーズになるけど。
あと、仕事関係の電話やメールは徐々に減り続けていった。会社から「あいつ要らなくね?」という声が聞こえてくるようだ。ひょっとしたら私の机の前で「ここ、前に誰かいたよね?誰だっけ」「え?ずっと空きの認識だったけど」みたいな会話になってるかもしれない。いやいや、もう誰かの席になってるかもしれない。出社したら「どちら様ですか?」とか言われるのかもしれない。怪我人の心は弱ってネガティブな妄想は広がるばかりだ。
29日(日)〜31日(火):
会社も病院もお休み。動かせる指を動かす、できるだけ外に出て日光を浴びるなどを心がける。左手お絵描きも訓練継続。
お絵描きこんな感じ
↓
12月15日:
左描きドラえもん
右描きドラえもん(左と同じポーズ)
ペンが持てるようになった右手でも描いてみました。ギプスが邪魔ではありますが、左手よりは線のブレが少ないですね。
12月20日:
左描き モナ・リザの微笑み
微笑んでいる表情にするのに苦労しました。
12月24日:
左描き ビートたけし(映画『戦場のメリークリスマス』より)
急に上手くなったように見えますが、iPadで写真を下絵として置いてトレースしたものです。ブレブレの線でゆっくりゆっくり描くのでとても疲れます。あと、左手で細かい作業をしていると右手にも力が入ってしまい、無駄な疲労感が残ります。
でも妙に味のある絵になるので、右手が完治してもこの路線は追及しようかな、と思ってます。
というわけで、なんか「骨折絵日記」になっちゃいそうですが、最初からそれでもよかったんじゃね?、とも思い始めてたりして。
【つづく】
コメント