ゲームなんか時間の無駄だ派の私ですが、ドラクエやってます。
これ↓
『ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々』
500円とお買い得だったので思わず買っちゃいました。私はamazonのタブレット、fireでやってますが、Androidアプリのようです。
思えば人生初ドラクエがこれであった。
あれは私が24、5歳の頃。
結婚する前の妻の家に遊びに行った時、妻の弟所有のファミコンでやらせてもらったのがドラクエⅡであった。
それまでデジタルのゲームといえば、ブロックくずしやスペースインベーダー、せいぜいギャラクシアンを喫茶店やゲームセンターでやったことがある程度。しかも、どれも反射神経を要求される、私にはちと向かないゲームばかりであった。事実、私が喫茶店でゲームを始めるとみんなが集まってきて私のどんくさいプレイを見て嗤ってたもんだ。
しかしドラクエⅡ。
まだ小学生だった妻の弟に、やくそうを買えだの町からあんまり離れるなだのひのきのぼうは弱いからもっと強い武器を買えだのいちいち指図されながらであったが、これ、今までのゲームとなんかちがう。
なにより反射神経を要求されない。面白い。
すぐに欲しくなった私は近所のおもちゃ屋さんでファミコンを購入したが、ドラクエⅡは売り切れで置いてなくて、しかたなく『ドラゴンボール』を買った。
ゲームにジャンルがあるなんて知らなかった当時の私。「これもドラゴンだし、似たようなもんだろ」と思って買ったのだが、『ドラゴンクエスト』と『ドラゴンボール』はまったく別のものだった。なにしろ反射神経を要求してくる。アクションゲームというやつだったのだ。
しかし、せっかく買った高価なソフト。「俺がやりたいドラゴンはボールじゃなくてクエストなんだ」と思いながらもかなりやった。指が痛くなるほどやった。が、クリアすることなくやめた。ドラクエⅡが手に入ったからだ。
そのままどっぷり。
ああもう。
ドラクエ。
やくそう。ひのきのぼう。かわのぼうし。
夢中で夜中までやって寝不足になり、会社の会議中に社長の隣で居眠りして怒られたのも今ではいい思い出である。その会社も10年ほど前に追い出されたが、あれはそうか、ドラクエ居眠りのせいだったか。ちがうよ。
冒険に力尽きた真夜中にふっかつのじゅもんを写し取るのは苦行だったが、ある意味忍耐力が鍛えられたと思う。最近の子供が辛抱ないのは簡単に「セーブ」や「リセット」ができるゲームが原因であろう。日本の未来のため、あえて今、「ふっかつのじゅもんシステム」搭載のドラクエの登場を切望する。なんなら選択式でもいいだろう。親が選択権を持って、子供がいうことをきかない時には「ふっかつにじゅもんにしちゃうよ!」と脅すのだ。それでもきかない時はふっかつのじゅもんを記した紙を破って捨ててしまうのだ。食べてしまうのもいい。ごっくんと飲み込んだ後で目を見開いてニヤリと笑うのだ。ここいら本気で読むな。
なんの話だっけ?
あ、そうそう。で、今30年ぶりくらいにドラクエⅡやってます。私ももう55歳。義理の弟も40を過ぎ、お互い冒険のできる歳ではなくなった。ゲームのレビューを見ると「難易度が下がってる」という声も多い。確かにそうだろう。だが。
ゲーム自体の難易度は下がったかもしれないがこちらが歳をとったぶん、体感難易度が上がって、プラマイで昔と同じくらいになってる気がする。
実際まだ割と序盤なのに次にどこで何をすればいいのかわからなくなってあちこち行ったり来たりしてる。情報をつかもうと人々に話しかけたりするが糸口がつかめず、同じ人と何度も何度も同じやり取りをしたりしている。「徘徊」なんて言葉が頭に浮かぶ。
ああ、俺もいつかこんな風に町を徘徊するようになるのかなぁ、なんてしみじみ想ったりする。
過去を懐かしんで始めたゲームで自分の将来の行く末にまで思いを馳せたりしている。奥が深い。
年を取ってもゲーム内で徘徊していたら本当の徘徊をしないで済むだろうか。
年老いた自分がコントローラーを手にしてゲーム内を徘徊している姿を想像したりする。ただただあちこち行って誰かに話しかけるだけ。
いや、その頃には完全 AI 制御の安心安全バーチャルリアリティ徘徊システムが実用化されているかもしれない。
介護施設で多くの老人がAIシステムで徘徊している姿を想像してみたらちょっと怖くなったのでやめた。
ゲームなんか時間の無駄だ。でも人生もそんなに変わんないかもな、とか思いながらマントが手に入る塔を探して徘徊を続けている。