日々棒組み769 ダモチャのおもひでロボロボ

駄菓子屋で売っているチープなオモチャをダモチャと呼ぶような気がするが、私の思い違いかもしれない。

実家の玄関を出て左を見ると角に「もちづきさん」があった。

本当はちゃんとした名前があったのかもしれないその駄菓子屋をわれわれ常連客は「もちづきさん」と、普通に苗字で呼んでいた。

家から歩いて10分くらいの、通常の行動圏から外れたところにもう一軒駄菓子屋があったが、そこは「むこうのもちづきさん」と呼ばれていた。なんでも自分の知識内でまとめようとする子供ならではの呼称である。

もちづきさんの間口は二間。正方形のガラスがはまったガラス戸が四枚並んでいる。

でも開く引き戸は一枚だけ。正方形のガラスがはまったその戸を開けると狭い土間、手前を子供が腰かけられるくらいのスペースを空け、その先に商品が並んでいる板の間、その奥の暗がりに店番のおばさん。
おばさんはおばさんと呼ばれていたが私たち子どもの目から見たらどちらかといえばおばあさんだった。

私はそのもちづきさんで、駄菓子屋の話になると必ず出てくる「ハットリくんの甘納豆」やら「カレーせんべい」やら「水あめをミルクせんべいで挟んだの」やら「こっちから糸を引っぱるとつながってるあっちのイチゴやらバナナやらの形のアメが当たる(もしくははずれる)の」とかをさんざん食べて、そして太った。

体はどんどん大きくなったがあまり性能が良くなかったのは駄菓子屋カロリーで育ったからだと今では思っている。

食べ物だけでなく、メンコやブロマイドなどの印刷ものや、安っぽいオモチャたちも定期的に買っていた。
版ズレ印刷の古いメンコ、なけなしの小遣いで買ったのに同じ絵柄が出て死にたくなったブロマイド。懐かしい。

オモチャでは、銀玉鉄砲とか、爆竹、タコ糸を引っぱると円形のプロペラがピューンといい勢いで上昇するやつとか、指の間につけてペタペタすると細かい糸が煙のようにフワッと浮き上がるどこが面白かったのかわからないのとか、投げても決して返ってこないブーメランとか思い出すが、私の中で、ある出来事とともに強く記憶に残っているのがジャイアントロボのプラモデルである。

プラモデルといっても部品は10個も無くて、可動部といえば首と両肩くらいの簡易なもので、平行四辺形のアルミの袋に入った接着剤が同梱されていた。

ジャイアントロボが大好きだった私はそのプラモデルを買って組み立てて遊んで壊し、買って組み立てて遊んで壊し、買って組み立てて遊んで無くし、を繰り返し、結果的にいくつもいくつもそのジャイアントロボを買っていた。

もちづきさんのジャイアントロボは全部私が買ってるんじゃないかという勢いだった。

でもそうではなかった。

ある日、なにか買いたいものがあるでもなくもちづきさんに行き、ハットリくんの甘納豆の、残っている景品のチェックやら、メンコの山の下に埋もれている昔の野球選手やらお相撲さんの「ほしくない絵柄メンコ」をチェックしていた。
要するに暇つぶしに行っていたのだが、そんな暇な小学生の私の目の端に、奥の暗がりでおばさんが何かしているのが見えた。

おばさんはいつもはかけないメガネをかけて、手元でちまちま何かしている。

何だろうとよく見ると、おばさんの手元にはあのジャイアントロボプラモデルのグレイのボディが。
おばさんは暗がりでせっせとジャイアントロボを組み立てていたのだ。

なぜ?

とも思ったが、私の目にはその理由よりも不思議な光景が映っていた。

おばさんは、ジャイアントロボのプラモデルをセロテープで貼りつけて組み立てていたのだ。

ジャイアントロボの形にはなっているが、そのロボの体から貼って余った透明のセロハンが飛び出してるのがここからでも見える。

なぜ?

なぜそんなことを?

あまりに不思議だったので思わず訊いた。

「なにしてんの?」

おばさんはロボ製造の手を休め、私の質問に答えてくれた。

「自分で作れない小さい子のために作ってあげてるんだよ」

……。

あ。

そうなんだ。

おばさんは手にしたロボの胴体に最後のセロテープをピーっと巻きつけ、目の前の床にそっと置いた。

座っているおばさんの膝元には他に三体のジャイアントロボが横たわっていた。私はなにも買わずに店を出た。

家路に着いた私は、その7メートルくらいの道々、つくづく思った。

おれ、
ちっちゃい子じゃなくてほんとによかった。

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