百鬼丸を救った寿海はブラックジャックの祖先に違いないと誰もが思った第3話。
百鬼丸はピノコか?あ、逆か。まあいいや。
両腕に刀を仕込み、魔物を倒すと奪われていた体の一部が戻ってくる、という百鬼丸の設定は、私の世代では「仮面ライダー本郷猛は改造人間である」と同じくらい当たり前のこととして受け止められているわけですが、大人になってあらためて考えるとこれはかなり特殊ですごい状態。
ものすごく個人的な状況から語らせてもらいますが、最近、辺見庸の『月』という小説を読んだのですが、そこで語り部となっているのは、目が見えず、声を発することもできず、手足も動かせず、排泄もできない、でも耳は聴こえ、考えることができる “きーちゃん”。
きーちゃんの状態は百鬼丸を連想させ、百鬼丸の生い立ちはきーちゃんを思い出させる。いやほんと。きーちゃんの両手にも刀があって魔物を斬りまくって体を取り戻せればよかったのに。
というわけで第3話。医師寿海と百鬼丸の出会い前までさかのぼって、百鬼丸の境遇があらためて語られます。並行して多宝丸の描写も差し込んでくる巧みな演出。やはり安心して観ていられます。寿海の苦悩にブラックジャックや本間丈太郎先生の苦悩を重ねてしまうのは世代がなせる技でしょうか。
ここまでで、右脚や皮膚といった比較的 “物理的” 身体パーツを取り戻している百鬼丸ですが、眼や耳、発声器官といった情報インプットアウトプット系の器官を取り戻した時にそれをどう感じるのか興味があります。「取り戻し」、「得た」けれど、ひょっとしたらその代わりに何かを失ってしまうような気がしなくもない。
いわゆる “健常者” が持っている品揃えが誰にとってもベストなのか。
この百鬼丸は最後に何かを、もしかしたらすべてを、捨ててしまうような予感がするが、そうであってもなくても最後まで気合入れて鑑賞したいと思いました。
コメント
ピノコは、百鬼丸。初登場の『畸形嚢腫』、その超能力で、ブラック▪ジャックをはじめとする医師たちを、半殺しにしてます。まさに「怪奇コミック」。女の子という設定から、石坂啓さんら女性アシスタントが服や小物を描くことで、愛らしいキャラクターに変身させたようです。
足立の手塚漫画好きさん、コメントありがとうございます。
なるほど。ピノコの可愛らしさは女性アシスタントの優しさからだったんですね。知りませんでした。
それがなかったらピノコのキャラクターも、その後のエピソードも全然違っていたんでしょうね。
百鬼丸には両手の刀を、ピノコには愛らしい服や小物を、それぞれ生きる道具として与えられたということでしょうか。