何十年も前の映画の感想が続いたので今回は新しめの映画を選びました。
2019年のアメリカ映画です。1年もの!新しい!
コメディアン志望の冴えない男アーサー・フレックがバットマンに出てくる有名な悪役ジョーカーになるまでのお話。
なのですが、アーサーくん、精神のバランスが崩れていて、妄想癖があり、それがいちいち映像化されているのでどこが劇中の現実で、どこが妄想なのか判然としない。
アーサーはいろいろひどい目に遭うのですが、ささやかだけどいくつかいい出来事もあります。同じアパートの女性とちょっと仲良くなったり、ジョークがウケたり。
でもなんかそれらはアーサーの妄想くさいんですね。はっきり妄想として描かれる出来事もあるけれど、(私の不注意かもしれませんが)よくわかんないのもあります。
アーサーは母親と二人暮らしなのですが、母親も精神を病んでいて、どうも言動がおかしい。おかげで余計ややこしい。
その昔トーマス・ウェイン(のちにバットマンになるブルース・ウェインの父親)と関係があって、その時できた子供がアーサーだと本気で信じてたりします。
それが本当ならバットマンとジョーカーは腹違いの兄弟ということになりますね。
この映画、ひょっとしたらアーサーの周囲で実際に起こったこととアーサーの妄想の両方をブツブツ切ってバラバラにして、もう一回繋ぎ直したものなんじゃないかって気がしてきました。
ひとつのシーンの中でも現実と妄想を交互に見せられていたのかもしれません。
よおっく観るとどこかにサインがあるかもしれません。
でもよく考えると、私たちの記憶も現実と妄想と渾然となって残っているのかも、と思いました。
たま〜にあるんですよねぇ、誰かと一緒に同じ体験をしたはずなのに、部分的に全く記憶が食い違っていることが。
アーサーが様々な境遇や出来事で追い詰められてジョーカーになってしまうのを観ていたら、境遇や出来事で偶然ヒーロー(ちょっと微妙だけど)になる『タクシードライバー』のトラヴィスを思い出しました。ロバート・デ・ニーロも出てるし。
と思ったらそもそも意識して書かれた脚本なのだとあちこちに書いてありました。
そんな謎の多い映画なので、検索すると「ネタバレ解説」みたいのがたくさんヒットしますが、監督のトッド・フィリップスには明確な答えがあるそうで、いつの日か(ずっと将来)明らかにするつもりだ、というようなことを言っているそうです。
その日まで私が生きているかわかりませんが、これは映画の魔法だからなぁ。気にはなるけど知らないまま死んでいってもそれでもいいや。
公開当時、「鬱な映画」とか、「危険な映画」というような感想を目にしましたが、私にとっては鬱でも危険でもありませんでした。
でもそれは、今の私が(豊かとまではいかないけれど)、衣食住足りて、誰かの暴力を受けることもなく、家庭でも職場でも自分のポジションが確保できていて、つまりは存在を否定されるような目に遭っていないからだと思います。
今後もしも色々なものを失い、自分の存在に自信が持てなくなった時にこの映画を観たら、かなり危険だと思います。