岡本喜八監督2連発! 映画『斬る』『侍』を観たら

この前感想を書いた『ブルークリスマス』はちょっとアレでしたが( →面白くならないはずがないはずの映画『ブルークリスマス』を観たらhttps://oto-ra.com/8484/)、『斬る』と『侍』はどちらも面白かったです。

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1968年の映画です。
源太(仲代達矢)と半次郎(高橋悦史)が廃村みたいなところで出会います。
二人とも腹を減らしていますが、半次郎はガツガツと食べ物を求めますが、源太は「ええ、腹は減ってますよ、だから?」みたいな飄々とした感じ。
半次郎は百姓が嫌で武士になろうとしている男、源太は事情があって武士の身分を棄てた男(兵頭弥源太)。
正反対を向いて進もうとしている二人が道でぶつかったという感じでしょうか。

その、二人がぶつかったところで事件が起こります。
小此木藩の悪い家老溝口を、血気盛んな若い侍七人が暗殺したのです。
若い侍たちはこれで藩政も良くなると意気が上がりますが、この暗殺行為の後ろ盾となってくれるはずの次席家老鮎沢には別の思惑があって、七人を抹殺しようとします。
侍になりたい一心の半次郎は鮎沢の家来となるために七人を討伐する隊に加わり、源太は自由な身分(やくざ)のまま事の真相を探ります。

ぶつかった二人がまた離れたように見えましたが、この事件を中心にして、付かず離れずぐるぐる回っているような関係になります。
実際には、単純でまっすぐ純粋な半次郎を源太が利用したり、時にはさりげなく導いたりしている感じです。

というような話なんですが、卑劣な陰謀や裏切りや仲間割れや血生臭い斬り合いやらと、妙なユーモアや漢気や実直な人情やらが良いバランスとテンポで繰り出されるので、緊張感を保ちつつ明るく観られる映画でした。
あと、鮎沢配下の討伐隊の隊長を岸田森が演じていますが、これが源太とも半次郎とも距離を置いた渋いキャラクターでカッコよかったです。かわいそうな身の上ですが。

思惑の違う幾つかの勢力の間で立ち回る主人公と漂うユーモアは黒澤明監督の『用心棒』と『椿三十郎』を思い出させました。そして、その二作にも劣らない面白さだとも思いました。

原作は山本周五郎の短編「砦山の十七日」(『松風の門』(新潮文庫) 収録



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こちらは1965年の映画です。
『斬る』より3年前の映画になりますが、『斬る』と比べると陰惨でやるせなくなる映画でした。「桜田門外の変 異聞」といった趣でしょうか。
歴史には記されていない人物、新納鶴千代(三船敏郎)が桜田門外で井伊直弼の首を取りますが、そこに至るまでの嫌な出来事の連発と隠された事実の嫌ゃ〜なことと言ったらもう。

新納鶴千代も、見た目は用心棒や椿三十郎で、腕も立つのですが、侍として出世したいという願望に取り憑かれていて、見苦しい言動が目立ちます。生まれ育ちの複雑さに自分の出世の道を塞がれている苛立ちが彼に道を誤らせます。本当の父親は身分の高い武士らしいのですが、それが誰かを誰も教えてくれません。それも鶴千代を苛立たせます。
ものすごく腕は立ちますが、この映画の三船敏郎は全くヒーローじゃないんですね。
黒沢映画の印象があったであろう当時のお客さんはどんな気持ちで観たんでしょうか。

クライマックスの桜田門外、雪の襲撃シーンは迫力ありました。切られると痛そうでした。堀に落ちたら冷たそうでした。
乱戦の後、鶴千代が大老井伊直弼の首を取り、刀に突き刺して高く掲げ、降りしきる雪の中を意気揚々と引き上げていきます。この首が自分の出世の道を開いてくれると信じて。

『斬る』と比べると『侍』は暗くて嫌だなぁと思いながら観ていましたが、終盤は引き込まれました。鶴千代の本当の父親が明かされるとなんかもうどうしようもない悲劇を観ていたんだとわかります。

『斬る』と『侍』は印象がまるで違う映画ですが「ひとりの人間として大事なことを見失うと道を誤るよ、でもどうしようもない時もあるよね」というあたりは共通しているのかな、と思いました。

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