お馴染みの、そしてお楽しみシリーズも第五部となりました。この『天子蒙塵』は文庫本ベースで4冊分。大長編のターンです。
「てんしもうじん」と読みます。「天子」は皇帝のことですが「蒙塵」て何でしょう?
『天子蒙塵』は誰かが客船でどこかへ向かう場面から始まります。「誰か」は英国人医師に「将軍」と呼ばれ、手厚く扱われていて、かなり地位のある人物だとわかります。
読んでいるうちに「誰か」は張学良、「どこか」はイタリアだとわかってきます。
張作霖の息子は航海中に阿片中毒の治療を施されています。もうヘロヘロです。張作霖爆殺から3年ほど経っているようですが、天命の具体「龍玉(ロンユイ)」を父から託された張学良に何があったのでしょう。
なんでこんなんなってんだろ?
と思いながら読んでいると張学良自身が思い出話を始めて色々事情がわかってきます。
以降ずっとこんな感じ。
第四部までの登場人物が入れ替わり立ち替わり登場してはあの時ああだったこうだったと語ります。
例外もありますが、体感8割くらいはこの構成で、なんだか「蒼穹の昴シリーズ特別総集編」みたいな趣でした。
四部までで書ききれなかったり事情で割愛した材料を寄せ集めたように感じました。
似たような描写や表現も散見され、長編というより連作短編のようにも感じました。
4冊のうち3冊半くらいはこんな印象で、「この話はどこへ向かっているんだろう?」と思いながら読んでいました。
しかしそこは浅田次郎。愛新覚羅溥儀の満州国皇帝即位に向かって物語はきっちり収斂してゆきました。とっても寂しい即位式の中に目が潤むエピソードを織り込まれていましたが、最後の最後には残酷な場面が用意されていました。
まったく。
あの人にあんなことさせちゃダメでしょ。
あ、そうそう。
「蒙塵」というのは「塵をかぶる」という意味で、「春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)」に「天子が行幸するときは道を清めてから行くが、変事の際はその余裕がなく、頭から塵 をかぶる」という記述があるみたいです。
「天子」という立場から逃げられない溥儀、その溥儀から逃げ出した者たち、逃げ出さずになすべき務めをなした者たちの物語でした。なすべき務めから逃げ出さないのは高潔で尊いことだけど厳しく時には果てしなく悲しい、ということを思い知りました。
ちなみに映画『ラストエンペラー』で描かれた時代は『天子蒙塵』と重なるところが多くあり、手元に録画があったのでつい観ちゃいました。
当然ですが『天子蒙塵』と違うところが多々ありましたが、Wikipediaの記述によると大抵は『天子蒙塵』の方が事実に近いようでした。