“人々を変えるものに人々は気づかない”
主題歌『VOYAGER ~日付のない墓標』より 作詞・作曲 / 松任谷由実
*前回までのあらすじ
小松左京を中心に、日本SF界の実力者が集結して「世界に恥じないSF映画を作る」という月刊スターログの記事を読んで胸を膨らませた田舎の素朴なSF少年(私)。小説版を読んでさらに期待は大きくなっていきましたが、何やらSFに似合わなそうな主役俳優や、聞いたこともない外国人俳優のキャスティングなど、映画の様子が具体的になればなるほど不安感が漂い、期待値も下がって行くのでした。
それでも「僕はSFファンなんだ」と劇場に足を運びますが、不安はすべて正確に的中し、劇場から出たちょっぴり都会の絵の具に染まったSF少年(私)は、夜空を見上げて「けっ」とつぶやいたのでした(参照→増刊1号 →増刊2号)。
音楽は良かったんです
前回、そんな映画でもいくつかはあった良かったシーンの話をしましたが、音楽はいいな、と思いました。
大傑作テレビアニメ『宝島』の大ファンで(のちにDVDBOXも買ってしまい)、大傑作主題歌や大傑作BGMのサントラ(LPレコードね)も買っていた私の心には羽田健太郎という名前はしっかり刻みこまれていました。『さよならジュピター』のメイン・テーマは大作SF映画にふさわしい壮大なものでした。
それ以上に私が素晴らしいと思うのは松任谷由実の主題歌『VOYAGER ~日付のない墓標』です。
正直言うと、映画の最後に流れた時は、映画に対する「けっ」という気持ちがたかぶっていて(最後の小惑星上でのへっぽこ演技合戦もあって)、ほとんど印象にないのですが、松任谷由実のアルバムに収録されているものを聴いて思いました。
「この歌こそが『さよならジュピター』のあるべき姿を凝縮して表現している」
SF的にどうとかよりもっと大枠の精神みたいなものをつかんで見事に歌にしていると思ったのです。
先へ進むための犠牲を受け入れる覚悟、短期的に理解されなくても大きなものに殉ずるこころざし。
映画本編が、いろんな要素を盛り込みすぎてぼやかしてしまった大事な芯のようなものがこの歌には生きていると思いました。
もうひとり音楽で杉田二郎が参加していますが、杉田二郎は映画の中では敵役みたいなピーターが歌う歌を作ってるのでちょっと損してますかね。でも、最近買ったサントラで聴くとそんなに悪くはないんですよね。映画と同じタイトルの『さよならジュピター』(作詞/小松左京)も、歌としてはそんなに悪くない。ただ残念なのは、この歌、ピーターと一心同体のようなイルカのジュピター(という描写も映画ではほとんどないのですが、小説版を読むとピーターとイルカのジュピターの絆は詳しく描かれています)が死んだ時にピーターがアドリブで作り、歌う歌なんですが、出だしの歌詞が “君はとても大きくて ”なんですよ。映画の中で死んだイルカのジュピターは特に大きくない、水族館で曲芸してるサイズの、多分マイルカなんですね。小説版のイルカのジュピターはもう少し大きいバンドウイルカで、ピーターが背中に乗って遊べるくらい大きいことになってます。
惑星とイルカ、ふたつのジュピターに何やら意味をもたせたかったのでしょうが、普通サイズのイルカが死んだところでピーターが悲しみのあまり突然 “君はとても大きくて ” と歌い出したので、もうわけわかんないことになってます(小説版を読んでいた人にはなぜ歌い出したかはわかるけど、わかる自分がむしろ恥ずかしくなるようなシーンでした)。
そして2003年。デラックス版DVD発売
とにも。かくにも。
衝撃と脱力の劇場公開から20年の月日が流れた。
そんなある日。
行きつけの古本屋で。
見つけちゃったんです。DVD発売されている『さよならジュピター』を。
劇場公開と同時にVHSのビデオが発売されたのは知っていましたが、映画の出来とか値段(定価¥14,800)とか以前に再生デッキを持っていなかった私には関係ないことでした。
素朴なSF少年の夢と期待を裏切った映画『さよならジュピター』。
しかし。
その後もソフト化されようがされまいがどうでもいいと思っていた映画『さよならジュピター』。
しかし。
パッケージを見ているうちに何かが心に漂い始めました。“ノスタルジー” みたいなものかもしれません。帯に書かれた樋口真嗣の「私を突き動かし続けるモチベーションの源泉」というコメントや、封入特典「宇宙船ブループリント(3枚)」の文字だったかもしれません。
私はパッケージを手に取り、レジに向かいました。定価¥7,800(税抜)のところ¥4,000くらいだったような気がしますがよく覚えてません。それすらすでに14年も前。人生などあっという間。人類だってあと一億年はもつまい(映画中の本田英二のセリフより)。
そして。
それ以来なぜか何度もDVDで鑑賞しています映画『さよならジュピター』。
大人になってから観たら若い頃に気づかなかった深い意味がわかって傑作映画になっていたかというとそんなことはなく、変なシーンは変なままでした。ただ、多少印象が変わったというか、劇場で観た時に顔を覆いたくなった糞シーンや糞セリフも、事前に分かっていれば何も怖くありません。敵を知り己を知れば百戦これ危うからずですよ。ははは。
映画はこのDVDで何度も観ていましたが、今回この記事を書くにあたって、電子書籍版で出ていた小説版も読んでみました。
映画では唐突な場面も、小説版ではくどいくらいに書き込まれていました。
いろいろ言われる無重力SEXのシーンも、小説では、ふたりが使う部屋は「ラヴ・ルーム」という、多分ミネルヴァ基地のラブホテルみたいなそれ専用の部屋らしくて、英二はマリアを連れ込む前に予約とったりしてます。
映画では「ラヴ・ガス」という言葉は出てきますが(なんだそりゃ?)、連れ込んだ部屋がどういう部屋かはわかりません。
宇宙とはいえ多くの人が生活しているところではそういう施設も必要だろうという描写なんでしょう。よく批判される、部屋の回転を止めて無重力にしちゃうのも、その技術的な仕組みが書かれていたりして、未来の人がそういう無重力プレイを求めて作った部屋なんだなということがわかります。
行為のシーンも、映画ではすぐにイメージ映像のようになりますが、小説では無重力での行為が執拗に描かれていて、飛び散った体液とか漂っていそうで、後片付けとか誰がやるのか心配になっちゃいます。
さらに、外で作業している人間がふたりの行為を見て、「いい女だな」みたいな会話をするシーンもあって、外から丸見えだということもわかります。未来人はセックスに対してオープンなんだという描写かもしれませんがよくわかりません。
英二がマリアを部屋に連れ込むために基地内を走るシーンがスローモーションになるのがダサいという批判も読んだことがありますが、小説版では基地内を走るシャフト・カーを使って、その車上でラヴ・ルームを予約したりしますが、なんかもうやりたい一心でタクシーに飛び乗って一番近いラブホテルに行くサカリのついたカップルみたいな雰囲気になっちゃっていて、映画版の方がまだいいですよ。あそこ、普通のスピードで歩いたり走ってりしてたらもっと変なシーンになった気がします。まぁ、もっとうまく他のシーンとかと組み合わせられなかったのかな、という気もしますが。
(増刊4号に続く)
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