オトーは月刊スターログと 増刊4号 そのころ『さよならジュピター』と(その4)

悔いは残らない。やってよかった。

DVDオーディオ・コメンタリーより 川北紘一特技監督の言葉

*前回までのあらすじ

田舎育ちの素朴なSF少年に現実の厳しさを教えた映画『さよならジュピター』。絶望したかつてのSF少年は都会の片隅でやさぐれた生活を送っていた。出会いと別れを繰り返し、世間に背を向け生きていたそんなある日。対抗する組織のヒットマンに追われて逃げ込んだ古本屋で彼は、お手頃価格で売られていた『さよならジュピターデラックス版DVD』と出会い、つい手に取ってしまうのであった(参照→増刊1号 →増刊2号 →増刊3号)。

そもそも無理のある映画だったとは思うが

もともとはテレビアニメシリーズの企画だったものを2時間くらいにまとめたんだからそりゃ無理ありますよね。テレビシリーズ半年分とか一年分とかのアイデアじゃ多すぎて消化できっこない。『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版は大ヒットしたけど、テレビシリーズ無しで劇場版だけ観た人が良い評価はしないと思います。ホイホイ進んで感情移入するひまもない。
初期のシナリオを小説化したものも上下二巻の大作。それと同じ物語をやろうとしたら無理が出て当たり前。うねうねと進むべき物語を平滑にツルツル進めざるをえなくなる。誰か気づいて方向転換しなかったのかと不思議に思ってしまいます。SF作家たちは競ってアイデアをぶち込もうとするだろうけど、映画製作側でそれは無理ですよ、と教えてあげなきゃいけなかったんだろうな。SF作家たちが聞く耳持ってればだけどさ。「SF知らない人はこれだから。ま、しょうがないけどねSFの人じゃないんだから」みたいな選民思想は捨ててさ。
そう思うと、初期の打ち合わせで、SF作家がプロレスの話ばかりしているので参加していたシナリオライターが怒って帰ってしまったというエピソードは、この映画が失敗した大きな原因だと思います。小松左京はこの一件を武勇伝のように、「SF作家というのはみんなでワイワイ冗談を言いながらアイデアを出していくもんだ」とインタビューで語ったりしているけど、自分たちのやり方を外部に押し付けよう、もしくは、あっちが合わせて当然(なぜなら俺たちがSFなんだから)と考えた高慢さと閉鎖性も映画の失敗の大きな原因だと、大人になった私は思います。
率先してプロレスの話をしていたであろう高千穂遥が映画公開後、ファンの批判に対して、「日本映画界にポテンシャルがなかった」みたいな反論をしていましたが、映画界と誠実に関わろうとしなかった人間が決して口にしてはいけない言葉だったと思います。同じ反論の中で「日本映画界は欧米の映画のコピーが精一杯で、それも(「2001年」のような映画ではなく)冒険活劇に限られる」とも言って日本の映画界がダメな理由としていますが、『さよならジュピター』の一年前に映画化された『クラッシャージョウ』の原作者であれば、なぜ冒険活劇が製作されるのかなんて誰よりもわかっているはずですよね。

あと内容的には、その高重力のために光すら吸い込まれてしまうといわれるブラックホールを悪役というか闘うべき対象にしてしまったのも失敗だったでしょうか。だって光を吸い込んじゃうから見えないんだもん。絵になんないんだもん。
小説版では、その探知しにくいブラックホールを見つけるために太陽系中の観測機器を怪しい方向に向けるシーンで盛り上がったり、過去に太陽系に来ていた知的生命体の警告的なものが明らかになっていくところで「ブラックホールやばい」が感じられるのですが、すべてデータとか言葉とかの表現で絵にならない。
だから迫る脅威の怖さが観客に伝わらない。スペースアロー号の遭難シーンの後は、地球どころか太陽系のどこにもブラックホール起因の被害が起こらないので、怖さは全く伝わらない。『さらば宇宙戦艦ヤマト』の白色彗星みたいにそこらの星を飲み込むよううな描写でもあれば怖いもんが迫ってくる感が盛り上がったかもしれない。しれないが、それでは「世界に恥ずかしい、あれはSFじゃない映画」になってしまったのだろう。
SF界は「SFは絵だ」みたいなことをせっせとアピールしていたような気がするが、なんとそれを通り越して絵になりっこないものを絵にしようとチャレンジしていたのだ。ろうよ。

結局こう思うのです

2009年に発行された洋泉社のMOOK『東宝特撮総進撃』の中で、とり・みきが『さよならジュピター』について「ワン・オブ・昭和の東宝特撮映画」というくくりで観ることについて語っていますが、これには妙に納得してしまいました。
当時の各方面の熱い思い入れで不幸な低評価を受けているけれど、そういう当時特有のあれやこれやを抜きにして観たら、特撮映画としてどうよ?悪くないよね、場面によってはもう少し高評価でもいいよねというような話です。
「日本の特撮映画」という長い歴史のあるくくりに入れてしまえば、比較的「いいところを見つけて評価しよう」というモードになるので、これはこれで良い位置づけかな、と思いました。

★東宝特撮総進撃

私も当初は、映画の変なところやらを並び立てた後、この「ワン・オブ・昭和の東宝特撮映画」という再定義あたりに着地させて、それで締めようかな、という構想で書き進めていましたが、記事を書きながらDVDのオーディオ・コメンタリーを聴いているうちにちょっと気持ちが変わりました。

僕はホントにしあわせ

DVDオーディオ・コメンタリー 小松左京総監督の言葉

特撮にも本編の人間ドラマにもメカのドラマにも関われて幸せだった、と小松左京はそう言ったのです。ちょっぴり目頭が熱くなりました。ああ、幸せだったんだ。
一本の映画は一本の映画として、製作の過程や事情や作り手の思い入れなどと無関係に独立して、完成したもので評価されるべきだと思います。思いますが、SF少年だった当時の気持ちを思い出しながらこの記事を書いているうちに、私にとって『さよならジュピター』は、完成して目にできる画像以上のものになっていました。
変なところ山盛りの映画になっちゃったけど。でも。

小松左京が幸せだったんだ。
それでいいじゃないか。

田舎の素朴なSF少年は『さよならジュピター』で大人になり、その後あんなことこんなことを経て、涙もろい、情に流されやすいおじさんになりましたとさ。ってこんな締めでよろしかったでしょうか。
あ、そうそうコメンタリーで「僕はホントにしあわせ」と言ったすぐ後に小松左京はこうも言ってました。

“ 沈没(日本沈没)ほど儲からなかったけど ”

まぁいいや。もう。

おまけのジュピター

特技監督の川北紘一は、テレビの特撮ヒーロー番組『超星神グランセイザー』の特技監督を務めたおり、『さよならジュピター』のメカを流用しました(改造されたり妙なペイントはされていましたが)。
テレビの前で「さよならジュピターじゃ〜ん」と叫びましたが、一緒に見ていた家族はポカンとするばかりでした。

証拠写真


MUSE-12の頭部に別の何かをくっつけたらしいメカ


噴射パーツが強化されたJADE-Ⅲ。大編隊でビームを連射しながら地球に攻めてきます。

というわけで、予定を大幅にオーバーして全4回になってしまった『さよならジュピター』特集。これでおしまいです。おつきあいいただきありがとうございました。さぞおつらい時間だったでしょう。私も力尽きました。もう『さよならジュピター』は観れないかもしれません。
さよなら『さよならジュピター』。そして。
ありがとう『さよならジュピター』。

次回から平常営業で、手持ちの月刊スターログが尽きるまで続けますのでよろしくお願いします。

オトーは月刊スターログと[総目次]

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