人間の脂が滲み出してくるような映画『万引き家族』を観たら

公開当時というかカンヌのなんか受賞当時のテレビなどでの紹介は、「万引きで生活している家族(でも本当の家族ではない)のお話」みたいなニュアンスだったように記憶していますが、観てみると、万引きは生活のための手段のひとつで、お父さんとお母さん(と便宜上呼ぶことにします)も働いているし、おばあちゃんの年金やらその他の現金収入もある家族(構成は複雑だけど)のお話でした。

万引き家族

娘も風俗で働いていたりして、裕福ではないけれど世帯収入はそれなりにあるじゃんとか思いながら観ていましたが、それだけ正規の労働をしていても「万引き」で補填ほてんしないと生活できないってとこがポイントなのかな?。
五人家族のところに幼女がひとり加わって六人家族になりますが、年金ばあちゃんの他にあと三人働いているのに万引きしないと六人家族が食ってけないとしたらそりゃどっかおかしいわな。

この家族、子供に万引きさせたりしてコンプライアンス的にはどうかと思いますが、「情」には厚い感じです。というより「情」の前ではコンプライアンスなんて無きに等しいのです。

この「家族」が何を抱えているか、徐々にわかってくるのですが、なんでしょう、じわじわ滲み出すようにわかってくるんですね。
でも、 観客が「わかってくる」度合いに比例して「家族」は壊れていきます。
それまでに見ていたほのぼのしたシーンも、びっくりするくらい微妙で、偶然の積み重ねの上に危ういバランスでやっと立っていた、ほんの束の間の「ほのぼの」だったんだと思い知らされます。

いや。
でもちょっと。
ちょっと待てよ。
でもきっとたぶん。
誰であれ私であれ。
「幸せ」とかってこういう、小さな火がポッポッと単発で灯って行くのを大切につなげていくことなんじゃないか?
デカい花火ドカンじゃなくて。
はかなく頼りなく、守り続けなければ消えてしまうものを大切に守ることこそが幸せなんじゃないか。
そんなふうに思いました。

そして私にはこんな言葉も聴こえました。

「なんであれ生きろ」

blinktasu
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