原民喜『夏の花』を読んだら

娘が、「面白いよ」と、学校の課題で読んだ原民喜の短編集『夏の花』を薦めてきました。
いろいろな版があるようですが、娘に手渡されたのは集英社文庫版。「壊滅の序曲」「夏の花」「廃墟から」の三編が収録されています。
ちなみに未読、というか「原民喜」という名前すら知りませんでした。

夏の花 (集英社文庫) 原民喜/著

この三作は、広島に原爆が投下される「直前まで」「投下の瞬間から直後の混乱」「疎開後の生活」と続く三部作になっています。

「壊滅の序曲」は、妻を亡くして、兄二人が「製作所」を営んでいる広島の実家に帰ってきた正三の視点で語られています(三作のうちこれだけが三人称です)。
戦時下の不便不自由の中でも、資産があるためやや余裕があるように見受けられます。
しかし、工場の建物疎開を迫られていたり、長男夫婦の問題があったりと、資産ゆえの悩みのある家庭であることも徐々に語られていきます。
そんな「不安定で狭小な余裕」の中に居場所を見つけた正三ですが、職もなく、朝寝と夜更かしの生活を続けています。
戦時下ゆえの生活、この家特有の問題、妻を亡くして何事も他人事のようになってしまった正三の様子などが淡々と描写されます。
そして最終行。
“原子爆弾がこの街を訪れるまでには、まだ四十時間あまりあった。”

「夏の花」は、冒頭1頁で妻の墓参りをしたことが語られ、その翌々日に原子爆弾に「襲われた」様子が続きます。
便所に入っていた「私」は、「頭上に一撃が加えられ」、「頭上に暗闇がすべり墜ち」、「嵐のようなものの墜落する音のほかは真っ暗でなにもわからない」状況の中「手探りで扉を開け」て、ようやく便所を出ます。
家は壊れ、自分も家族も負傷していますが、原子爆弾の被害全体の大きさを考えると幸運だったうちに入るでしょう。
ただし、「その時はまだ、私はこの空襲の真相をほとんど知ってはいなかったのである」。
全体像がわからない中で「私」は目の前で起きていることを比較的冷静に語ってゆきます。
これは原民喜が、妻の死後妻宛に書き続けていた手記の延長上にあるもので、原爆投下後、避難所で野宿しながら書いたものが元になっているそうです。
「私」は、惨劇の全体像がわからないながらも異常さを感じ、「このことを書きのこさなければならない」と、心に呟きます。
多くの遺体、負傷者、家族を探し求める者の描写が続きますが、怒りをぶつけるとか、悲観に暮れ果てるとかの感情的な表現はほとんど無く、淡々としています。
目の前の危機から逃れようとする時は、感情や論理は邪魔で、もっと反射的な判断や行動が優先されるのかもしれません。そして、リアルタイムで書き綴った手記がこういう描写を可能にしたのかもしれません。

三作目の「廃墟から」は、疎開先で終戦を迎え、九月をすぎ、最後の方で「あの当時から数えてもう四カ月も経っている」という記述があるので、12月頃までの出来事が語られていると思われます。

疎開先で親族で暮らしていますが、負傷した親戚たちが治るどころか悪化していったり、「私」もひどい下痢に悩まされたり、知人の誰が亡くなったとかこんな死に方をしただとか、田舎から広島へ行った人が具合が悪くなったとか、川の魚を食べた人が死んでしまったとか、時間が経つにつれ、原爆投下直後の様子など、「私」が目の前で見たこと以外の情報も加えられ、「夏の花」の上にさらに悲惨さが積み上げられていきます。
「私」は広島に来て日が浅いため知人も少ないのですが、長く暮らしていた人たちは行方不明の知人の安否を気遣い、日常の中でも常に探し続けていたそうです。
「廃墟から」の最後はこうです。
「広島では誰かが絶えず、今でも人を探し出そうとしているのでした」

最初に書いたように私は文庫本で読みましたが、青空文庫の無料の電子書籍版もありますので、興味のある方は読んでみてください。
それぞれ短いですし、何より忘れてはいけないことですからね。

最近は小説はほとんど電子書籍で読んでますが、紙の本を「これ面白かったよ」と誰かに手渡しするのも捨てがたい行為ではありますねぇ。
ただ私が喜んで読む本を喜んでくれる人ってものすごく限られてる気がするけど。

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