絶妙の壊れっぷりに雨が降る。映画『羅生門』を観たら

が、しかし私はこう思うのです。どうも日本の映画界は一寸目新しい試みをすると、その危険性を指摘し、折角伸びようとする枝を切ろうとする傾向があるのではないでしょうか。
 (黒澤明)

公開70周年記念 映画『羅生門』展より

NHKで放送した黒澤明のドキュメンタリーを観ていたら、『羅生門』の羅生門が実物大セットだということが語られていて、「そうなのかすごいなぁ」と思いつつ「でもそりゃそうだよな」などとも思い、何年ぶりかでまた観たくなりました。
私はあまりものを考えずに映画を観るので、漠然とあの門はあの状態で実在しているように思っていました。そんなわけないよね。
というわけで、今では動画配信もされている70年前の映画『羅生門』を鑑賞。

羅生門

半壊した羅生門に大雨が降り注いでいます。
いいですよね、この壊れっぷり。
向かって左側はなんとか形をとどめていますが、右側は骨組みシルエットです。
膝を抱えた志村喬がため息をつきながら「わかんねぇ。さっぱりわかんねぇ」とつぶやきます。隣に座っているお坊さんと二人、降りしきる雨に視線を向けていますが、多分何も見ていません。

ここにもう一人、雨宿りに駆け込んだ下人が加わり、何が「さっぱりわかんねぇ」のか話が始まります。
語りの場である羅生門、犯行現場の森、裁きの場となる検非違使の庭の場面が交替しながら話が進みます。

ザァザァ雨が降る羅生門やギラギラ眩しい森の中に比べて検非違使の庭は穏やかで風も無さそうです。「中立感」を表しているのでしょうか。

時々映る羅生門の屋根は曲線を描いて壊れている部分があって、そこから雨が流れ落ちています。
そのカーブが絶妙で、見とれてしまいます。

『七人の侍』や『用心棒』と比べるとアクション的な娯楽性は低いと思いますが、今回見て思ったのは、森の中のアクションシーンが結構長い、ということ(同じ出来事を4回繰り返すわけだからまぁ長くもなりますよね)と、半裸で森の中を駆け回ったり斜面をはいずった三船敏郎はさぞ傷だらけで大変だっただろうなぁということでした。

一つの事件でありながら証言者により全く違う様相が語られるということで、不思議さと難解さが漂いますが、結局は皆が自分に都合の良いように、自分が良く見られる方向に寄せて語っていたんだと思います。
最後に語られる志村喬の目撃談が、事件の一部しか見ていないながら、最も真実に近かったんだろうなと思います。
志村証言による再現では、二人の殺し合いもかっこいいチャンバラではなく、BGMも派手な効果音も無い中(虫の鳴き声が聴こえます)、闇雲に刀を振り回し、無様に這いずり回り、ぜぇぜぇ息を切らすという、本当の斬り合いなんか見たことありませんが、リアルに感じました。
多襄丸談である最初の証言でのこのシーンは、チャンバラっぽいBGMや効果音、そして何より男と男の闘い、みたいな場面になっていました。

最後は羅生門の三人の場面になりますが、ここでひと悶着ありながらぎりぎり希望のあるラストでした。
そうでもしないと収まりがつかないというか、それこそ「さっぱりわかんねぇ」映画になりそうですもんね。

公開70周年記念 映画『羅生門』展

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