初見ですが、なんだかレオナルド・ディカプリオの演技が評判になった映画だそうです。
でもタイトルになっている人物ギルバート・グレイプを演じるのはジョニー・デップ。ディカプリオは弟のアーニー役でした。1993年の映画なので1974年生まれのディカプリオは18、9歳。劇中のアーニーと同い年だったんですね。撮影中はもっと若かったかもしれませんが。
ギルバートはアメリカの田舎町で母親、姉、妹、そして弟のアーニーと共に暮らしています。
食料品店で働くギルバートは一家の大黒柱であるとともに、知的障害を持つアーニーの面倒を見る役目も担っています。
田舎町の変化のない生活に閉塞感を感じながらもよく働き、弟の面倒もよく見て、食料品の配達のおりに欲求不満の奥さんとよろしくやってたりします。
危ういけどなんとかバランスを取っている、そんな感じの幕開けです。
アーニーは生まれた時に医者から長くは生きられないだろうと宣告されますがそんなことにはならず、もうすぐ18歳の誕生日を迎えます。
ギルバートは冒頭の独白でアーニーへの思いを、「長く生きてほしいと思う時とそうでない時がある」と語っています。
アーニーを愛してはいるけれど、放っておくと高いところに登ったり、勝手なことばかりするアーニーが時に重荷になるようです。それも愛すればこその心配から来ている重荷感ではありますが。
グレイプ家にはもう一つ悩みがあって、それは夫の死のショックから過食症になり、度を越した肥満体になってしまった母親。
近所の子供がその巨体を覗きに来たり、体重のおかげで家の柱を補強することになったりと大変です。
でもギルバートは覗きに来た子供を窓の高さまで抱き上げて母親を見物させたりします。どうやらこれも閉塞感とバランスを取るため、決まりきった常識的な「良い子」から逸脱したい気持ちの表われのようです。
そんな毎日を送るギルバートの前に、トレーラーハウスで旅をして暮らしているベッキーが現れます。トレーラーが故障して、部品を調達するまで足止めされてしまったのです。
ベッキーが持っている自由な生き方や考え方に惹かれるギルバートでしたが、家族やアーニーのことを思うと自分は同じような生き方はできない。ますます閉塞感に襲われるギルバートでした。
というお話。
いくつかの強目の事件が起こり、その都度バランスを取ろうとするギルバートでしたが、最後にはギルバートの悩める心とは無関係に、生活を変えざるを得なくなる出来事が起こり、ギルバートはある決断を下します。
悲しい出来事もありますが、結末は希望を感じられるものでした。
誰かに「何か “いい映画” を紹介して」と言われたらこの映画を挙げておけば人間関係も良好に保てるでしょう。
原題は “What’s Eating Gilbert Grape” 。
「ギルバート・グレイプは何食ってんだ?」
答えは
「他人の奥さん」
かな?
アメリカの田舎が舞台のフィクションて欲求不満の奥さんとか欲求不満の未亡人とか出がちなような気がするんですが、何か記号みたいなものなんでしょうか?
日本の旧家が舞台だと “訳あって出戻った娘” とか出がちですよね。
偏見かなぁ。
あ、あと、観ている途中でこのジョニー・デップ、誰かに似てるな〜と思い(特にボーッと人の話を聞いている時の表情とか)、ずっと考えていたのですがそれが誰だかどうしても思いつかなくてちょっと気が散ってしまいました。
気になったので鑑賞後、「ジョニーデップ似てる」で検索したらどうやらそれは三上博史だったようです。
まぁ似てる。
でもそんなに悩むほどのことじゃなかったですね。