X(つかtwitter)のアカウントを削除しました。
twitterを使い始めた頃に娘の幼稚園のお遊戯会についてツイートしたのを覚えてます。
その娘も21歳の大学四年生。世の中は変わりました。頑固者だけが何度も悲しい思いをしました。そのたび崩れちゃそいつのせいにしたりしました。
自分がフォローした人のツイートしか表示されなかったあの頃が懐かしい。
あれでよかったのに(Threadsもな)。
イーロン・マスクの言動がどうにも気持ち悪くて、1ナノマイクロミクロンメートルも関わりたくなかったのでXのアカウントを削除しました。
が、マーロンに対する感情とは関係なく、X(つかtwitterつか昔と違うtwitter)の無い生活がとても気持ちいいことに気づきました。
イスクには悪いけどXは私には不要どころか害だったということがわかりました。私には。しばらく前から薄々感じてはいたんですけど。
なんすかね。読んで面白かったり役に立ったり理由はともかく読む価値のあるポストもあるんですよもちろん。お互いの交流という価値もある。価値もあるんです。
でもゴミが多い。多すぎる。フォローもしてないのにゴミを読むことになる。人んちにぽんぽんゴミを投げ込んで来るんだエックス。
読まなきゃいいじゃん、と言われそうだけどなんていうか、自分ちの玄関前になんか落ちてたら「なんだこれ?」って思うじゃないですか。
で、ちょっと外見が人目を引くような形だと「これなんだろ?」ってつい観察しちゃったりするでしょ?
ツービートのウンコの漫才みたいだけど、ウンコなんだけどウンコに見せない構文みたいなポストや、人のほっぺをちびちびつまんで引っ張り続けるようなポストがあまりに多くてそれがまたフォローもしてないのにアルゴリズムとやらで人んちの玄関前に投げ込まれてつい読んじゃってウンコだとわかった時には結構な時間を無駄に費やしているわけですよ。
いや、ウンコだと薄々感じながら読み続けている自分の責任なんですよ。「嘘くせーな」と思いながらついつい読んでる自分が悪いんですよ。「なんかいいものないかな?」ってゴミを漁ってるのは自分なんですよ。読まなきゃいいんですよそんなもん。自分の意思で。何よりもそういうインプレ稼ぎのみみっちいちんけな構文にまんまと引っかかって無駄に時間を費やしている自分が嫌になっていました。
なのでXのアカウントを削除しました。いろいろ惜しいものはある。しかし、そこは泣いて馬謖を斬るの心境で削除しました。
そして。
Xアカウントを削除したらどうなったか?
こうなった。
もうなんていうか快適な毎日。
だって読まなくていいんだもんウンコX。
これまでどれだけ空虚な言葉(そして嘘くさい被害者ポスト)に無駄な時間を費やしていたか思い知りました。
ウンコ読むなら本を読め。
というわけでせっせと読書してます。
ついでにThreadsも停止(削除ではない)して触れないようにしてみました。
Threadsはまぁそんなにどっちでもいいような気もしましたが、触れなくても全く支障がない。
Threadsのアルゴリズムもよくわかんなくて、私のタイムラインはなんかすごく偏ってました。それもだんだん気持ち悪くなってはいました。
あくまでも個人の感想ですが、Xを使うことで心にいくつもできていた澱んだ空気のダマみたいのが、Xに触れなくなったことですっきり爽やかな風がダマを吹き流し飛ばし、そのままそよそよと吹き続けているような、そんな感じになりました。快適。心の風通しがいい。
楽しみに読んでいたツイート、役に立つツイート、そして何より個人的にやり取りがあった人と離れてしまうのは惜しいのですが。アカウントを削除したことで得られた快適さはそれ以上でした。はるかに。年寄りには何より貴重な「時間」というものを時間泥棒から取り戻した、そんな気にすらなったのです。
あ、Instagramは引き続き使ってます。
あれはいいんだよあれは。
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