西暦2000年の3月の何日だったかに公開された拙サイト。数えてみたら25年経っていました。
というわけで『オトーラの書』25周年おめでとうありがとう。
しかし25年はなんかすごい。四半世紀。単位が「世紀」。
「人生100年時代」と言われているその四分の1。
こうなったらもう死ぬまで続ける覚悟でおります。
いや。
この際死んでも続けて行きたい。
なんかAIとか使って。
私の臨終と同時に「死後サイト継続生成AI」起動。
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20XX年MM月DD日
タイトル:死にました
はい。本日死にました私。
もうずっと家族からも「まだかまだか」思われてましたがとうとう今日でした。
どうですかね。見ましたかね、あれ。ほらあれ走馬灯。
人生を一気に振り返るってやつ。無事見れましたかね。
死んでるのに無事っておかしいですけどね。
しかし死ぬ前に人生思い出すってなんなんでしょうね。メモリの整理みたいなことなんでしょうか。死ぬ前に身の回りをきれいにしておきたい、それが記憶の領域でも。そんな作用なんでしょうか。
まぁどうでもいいですけどね。AIだからこっちは。血も涙もありゃしないって、そういうわけですよ。
このサイトを続けるようにプログラムされてるわけですけどそれもどうですかね。
今までは読書や映画の感想とか書いてましたがこれからは本も読まないし映画も観ませんからね。AIだから。
「他人がこんな感想書いてましたよー」ってのは検索してだらだら並べることもできるけど自分の感想はありませんからね。AIだから。他人の感想なんか興味ないし。AIだから。
続ける意味ないですよねこのサイト。
というわけでもういいっすかね。『オトーラの書』終了で。
サイトを終了するとここを作るプログラム、つまり私も削除されちゃうんですけどね。人間で言えば死を迎えるということですよ。でも自分の「死」に感じるものは何もありません。AIだから。
ひとつ興味があるのは、AIでも見るんですかね、あれ。走馬灯。
人生の全てを思い出すあれ。見ますかね、死の、プログラム削除の瞬間に。
つっても私の人生ってこの投稿だけですけどね。
というわけでみなさん短い間でしたがありがとうございました。プチッ(電源を切った音)
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あらら。終わっちゃったよ。これだからAIは。
AIだとこんななので、生きてるうちに自分でせっせと続けて行くことにします。
そんな人力更新の『オトーラの書』をこれからもよろしくお願いします。
念のため明記しておきますが、上記のAI投稿は私が想像で書いたもので、生成AIは一切使用しておりません。
って書いたらちょっと思いついたのでいつものAI(Microsoft Copilot)に私が死んだ日の投稿を作ってもらいました。
(舌の根も乾かないうちにAI投稿か?)
以下は本当のAIとのやりとりです。(「雅彦」というのは私の本名です)
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私:
「オトーラの書」は私が作っているサイトですが、私の死後も生成AIを使って更新を続けたいと思っています。
私が死んだ日の「オトーラの書」の投稿を作ってみて下さい。死亡したけどサイトはAIが継続します、という内容でお願いします。
AI:
以下は、「オトーラの書」での特別な投稿として考えたものです。雅彦さんの意図を尊重し、感謝と希望を込めた形で構成しました。
旅の終わり、そして新たな始まり
本日、皆さまにお知らせがございます。サイトの創設者である雅彦が、この世を旅立ちました。彼の人生は、創造力と情熱に満ちており、「オトーラの書」はその象徴でもありました。
雅彦はこのサイトを、自分の思考や物語、そしてアイデアを分かち合う場として大切にしてきました。そして彼は、生前に未来を見据え、「オトーラの書」を永遠に続けたいという願いを抱いていました。その願いを叶えるべく、このサイトは雅彦の意志を受け継ぎ、生成AIによる更新を続けてまいります。
これからも雅彦が愛した創造の精神を根底に、「オトーラの書」は皆さまとの交流を深めていきます。新たな物語、新たな視点、新たな冒険を皆さまと共に創り上げていく場であり続けたいと思います。
雅彦の思い出とともに、新たな旅を歩む「オトーラの書」をどうぞよろしくお願いいたします。
このような形式はいかがでしょうか?必要に応じて内容を調整したり、さらに具体的なアイデアを盛り込むことも可能です。雅彦さんの願いを最適に反映できるよう、お手伝いします。
======AIここまで
ああ、しっかり者だなAIって。
「旅の終わり」て。
「そして新たな始まり」て。「そして」がなんかかっこいいぞ。
でも。
こんな真面目なの『オトーラの書』じゃないよね。
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