581 富士山噴火で思い出すことなど

富士山が噴火するらしい。
火山だからね。
日本中あちこちで火山が噴火して、新しい島までできる騒ぎ。
映画『日本沈没』のはじめの方みたいなことになってる。海底では泥がこう、もやもやっとなって博士がそれを見て何かを感じてるころだろう。安倍首相が安保関連法案成立を急ぐのも日本沈没に備えてのことに違いない(これは嘘)。
妻は各地からの火山噴火の報を聞くと「もうダメだね。沈没だね」とすでにあきらめている。

私の実家は静岡県の富士宮市というところで、今ではすっかり焼きそばの町ということになっているが、昔から富士山のふもとの町である。もうずっと昔から。学校の校歌とか富士山がらみの歌詞が必ず出てくるし、市内の小学生の作文集の誌名が「ふもと」であるような「ふもと感」。富士山が噴火したらただじゃすまないふもと感。

2年くらい前だったか帰省したおり、妻が(日本沈没説をとなえる妻が)、私の母に、
「富士山が噴火したらこのへんはどうなっちゃうんですか?」
と訊いたら、八十過ぎの母は、ひとこと、

「だめずら」

だめか。そうか。そうずらか。

富士山は過去にも噴火することになっていた。
あれは私が実家で中学生ライフを送っていた頃だから、四十年くらい前だろうか。富士山が噴火するという本が出版され、騒ぎになっていた。
本当に富士山が噴火したらどうなっちゃうんだろう?私は、あっちの方におおぞらたかくそびえ立つ富士山を眺め、想像してみた。
山頂が爆発して火を噴き、自動車くらいの大きさの火山弾が四方八方にドカンドカン飛び散り、真っ赤に溶けた大量の溶岩がドロドロと坂道を流れ落ち、富士宮市街を飲み込む。第二中学校、大宮小学校、駅前の長崎屋。みんな溶けた溶岩の下だ。
私は思った。

だめずら。

私が恐怖に襲われていたそのころ。あるテレビ番組で、富士山が噴火するという本を書いた著者と、富士山周辺で観光業に従事する人が直接会って討論するという番組が放送された。
私は「だめずら」の中にも「こうすれば大丈夫ずら」を見つけたくて番組を見た。

観光業に従事組は山梨県側の人たちだったが、富士山が噴火するということで観光客が減って大迷惑しているらしい。今でいう「風評被害」だろうか。富士山噴火は命の問題であると同時に生活の問題でもあると初めて気づいた。

観光業組は真剣で、ハチマキなんかしてる。その意見は、
「われわれはちゃんとした科学的な根拠があればそれを信じるが、あんたの言ってることはそんなものではなくていいかげんだ。富士山は噴火しない。われわれはあんたの本で迷惑している。富士山噴火説を取り消せ」

対する著者は、
「私は科学的な研究をもとにあの本を書いた。取り消すつもりはない」
両者は基本的にずっとこの主張を繰り返すだけで、話し合いは平行線をたどるばかりだった。私の心配も解消されない。
やがて放送終了時間が迫り、司会者が「最後に言いたいことはありますか?」と観光業側に振ると、代表みたいな人が言った。
「富士山は神の山だ。その富士山が噴火なんかするわけがない!」
「そうだそうだ」「そうだ!」口々に同意する観光業組。なんだか当惑顔の著者の顔を映して番組は終わった。

そうなんだ。
神の山だから。
でも科学的根拠がって…
大丈夫!神の山だから。
そうかぁ。よかった。富士山は噴火しない。だって神の山だもん!
私はその日から安心して富士山のふもとで中学生ライフを送った。

みなさんもご存知のように、その時は富士山は噴火しなかった。それが「神の山」だったからなのか、著者の説になにか「科学的な」誤りがあったからなのかは私にはわからない。
しかし、あの時噴火しなかったからといってこれからも噴火しないとは限らない。もっと昔は噴火しているのだ。もっと昔のほうがもっと神の山だっただろうに。
ふもとの中学生たちは、油断することなく、富士山噴火に注意して生活してほしいものである。

大事な追記

って話を全部書き終わってから、その、昔の富士山噴火説騒ぎって本当はいつごろだったのか気になって調べてみたんですね(まぁ、先に調べろよって話ですが)。
そしたらなんか1983年(昭和58年)らしいんですよ。
すると俺21歳だね。大学生。
実家のテレビで見たのは確かなので(ホントか?)、長期の休みで帰省したときにでも見たのでしょう。
もうぜんぜんでたらめですいません。精神年齢が中学生のままだからこういうことになるのでしょう。
お詫びして訂正します。
他の部分もそういうやつが書いたんだって心がまえで読んでいただけると助かります。

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