読めなくても本を買っていいのだ

「読書」、「本」とカテゴリー名が迷走しておりましたが、今回から「活字の子」に変えました。
というか戻しました。
先代の「オトーラの書」で使っていたカテゴリー名です。
通りが悪いかと思って一般的な言葉にしてたんだけどもういいやそういうの。
タグもあるのでカテゴリー名は「活字の子」でいきます。本、読書、出版に関わる話題は、紙の本、電子書籍関わらず、このカテゴリーになります。

というわけで。
近所の本屋がなくなってしまいました。
郊外型の、本、文具販売、DVDレンタル併設のお店で、末期はGEOになってました。
カードゲームができる場所を設置したり、読み聞かせのイベントをしたりと、大変なんだろうけどがんばってるなと見ていましたが、なくなってしまいました。
徒歩5分もかからない場所で品揃えも良かったので、休日に暇があると店内をブラブラしていたのですが、もう行けなくなってしまいました。残念です。
残念ですが、私はいい客だっただろうかと自らに問えば、決していい客ではなかったと思います。
外へ出る趣味のまったくない私にとって「本屋さんに行く」というのは貴重で楽しい外出の動機でした。
でもそこでどれだけお金を使ってたか。
私ひとりの出費でお店の経営が変わるわけありませんが、そうじゃなくて、自分が好きな場所や物にはお金を使わないとダメだな、と思いました。

電子書籍も日常的に使い、デジタル的なものが大好きな私ですが、紙の本を心から愛していたりもします。
そんな私ですが、欲しい本を見つけたときに(紙の本に限らず)買うのを躊躇してしまう理由のひとつが、
「これ買っても読む時間ないよなぁ」
です。
こう思う人は多いでしょう。みんな忙しいから。
でも私はこの躊躇をやめることにしました。
読めなくてもいいや。

読まない本を買うことに意味は無いでしょうか?
無いかもね。
でもいいや。
買ったけどあまり着てない服や、ほとんど白紙のノートやメモ帳、インクが満タンのままのボールペン、ソフトを2、3本しか買ってないプレステ3(3!)。

私のまわりはそんなもんばっかだ。
本にばかり過剰な「意味」や「有用性」を求めて、買うのを躊躇するのはもうやめだやめだ。
「読みたい」と思って、それが適正な価格だったら買っちゃうんだ。ほんとに読むかどうかなんて知るもんか。もう買っちゃうんだもんね。

そんなわけで、今日越谷レイクタウンの未来屋書店で2冊の本を買いました。
一冊目はこれ。

論語 (岩波文庫 青202-1)
金谷 治訳注
4003320212

「読むこと」に意味を求めないにしては濃い「意味」を発している一冊ですが、きのうお絵描きしながら以前録画した押井守の『イノセンス』をバックで流してたら、「◯◯と、孔子様も言っている」というセリフが何度か出てきて、論語にちょっと興味を持ってしまいました。
基礎学力が不足している私にはかなり新鮮。
ゆくゆくは論語の引用を連発したあげく、「いやぁ、自分は論語しらずっすから」と言うのが夢。
もう一冊はこれ。

山口晃  前に下がる 下を仰ぐ
山口 晃
4861524776

ははは。これは読む読まないって本じゃないね。画集だから。でも手書き文字がけっこうある。

書店の閉店を惜しみながらamazonの広告貼るってのも内心忸怩たるものがありますが、本の紹介には書影を入れたいけど、勝手に写真撮って載せるのは著作権的にアウトらしいのでご理解ください。いい加減なことばっか言ってますが、これからもよろしく!

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