辺見庸著『1★9★3★7(イクミナ)』(金曜日版)を読んだよ

天下国家っていうか概論ていうかそういう大枠を語る方がかっこよくて頭が良さそうに見えるし、何より責任をとらなくていいんじゃないかと私は思ってる。
「責任を取らなくていい」というのが強すぎる言い方だとしたら、相対的に軽くできるっていうか。
何をえらそーに言っても結局「個人:天下国家」だし。「俺ひとりに何ができるっていうの?」っていう逃げ道。何もしなくても論理的には破たんしない気楽なポジション。
この『1★9★3★7(イクミナ)』はそういう気楽なポジションを許さない。誰に許さない?著者自身はもちろん読者にも、だ。

「南京大虐殺」という歴史的天下国家的出来事を時間も距離も乗り越えて自分の身に引き寄せて引き寄せて穴が開くほど見つめさせる。
そして問う。
自分は(読者よお前は)、その時その場にいて、ひとりの中国人も殺さず、犯さず、掠奪することもせずにいられたか?
私は、読んでいるときは自分にその問いを突きつけるのが恐ろしくて「そんなこと問わないでくれそんなこと問わないでくれ」と思いながら読み続けたが、著者辺見庸は、自分の父親の言動を容赦なくけんとう検証し、父が戦場で何をして、何をしなかったか、そしてもしも自分の体がそこにあったら自分はどうしたか、自問し続ける。

私自身の答えは、本書で、当時起こった出来事が生々しく語られていることもあり、読んでいる間や読了直後はどうにも考えたくなかったが、少し時間を経た今なら答えられる。
もしも現代の人間でなく、当時の人間として、兵士として、現場にいたら、まったく迷うことなく殺し、犯し、掠奪し、焼きつくしていただろう。
迷うことなく。それは自分が若いころからどういう人間だったか考えれば間違いない。
別に悪人ではなく、むしろ、気の小さいそれなりに自尊心のある善人。でもきっと殺し、犯し、奪っていた。というより善人だからこそ「自分」より大きな、お国や、村や、学校や、会社にとっての「善」に盲従してしまう。そういう人間。
読後時間を経て出した結論。
でも待てよ。
「もしも現代の人間でなく」?
もしも現代の自分が現代の状況として同様の現場に身を置く事態になったら?その時は?
これは実は、「この問いに思い悩むより、そんな事態に自分や自分の子が身を置かずに済むよう行動しなさい」というのが正しい答えなんだけど、その答えの先には、「ではどうするの?」という次の問いが控えている。
そこで「個人:天下国家」というスケールを片手に無力という立ち位置で天下国家を語れば面子は保たれるのかもしれない。
でもなんか。
それじゃだめだな、きっと。
もっともらしくまとめるのがいちばんダメなんだ。
このままじゃきっと私はまた、殺し、犯し、掠奪し、焼きつくしてしまう。

1★9★3★7(イクミナ)
辺見 庸

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本書への礼儀として、できるだけ自分の身に引き寄せて読み、感想を書いたが、もうひとつだけつけ足すと、終章に記されている、東京大空襲後に天皇が現地を訪れた時に起こったこと、そして「一億総懺悔」という言葉の本当の意味(私は間違って理解していた)を読んだときは本当にびっくりした。ここだけでもみんなに読んでもらいたいと思った。そして誰かが「一億総なんとか」とか言い出した時は、誰のために「なんとか」させたいのかよおく考えるべきだと。



*私は未読ですが、『1★9★3★7』には別の出版社から発行された「増補版」もあります。

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辺見庸

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