原作を読まずに映画を観て面白かったので、家にあった原作を8巻まで読みました。
なぜ8巻までかというと、映画版が8巻あたりまでのお話で終わってるからです。漫画はまだまだ続きますが、この区切りはゾンビ映画としては基本というか王道というか納得の区切り。
とりあえず目前の危機を脱したけど世界はもう壊れちゃってるよね、これからどうすんの?どうなんの?ってあの空気。
原作漫画と映画の違いは、大きいところではゾンビ設定が映画の方が従来のゾンビのお約束に近かった気がします。漫画では「頭部を破壊すれば」という設定は今のところ明確には出てきてないようです。
物語的には世間がパニックになる前の主人公の私生活がそれなりの長さで描かれていて(バランス的には映画より長い感じ)、特に彼女てっことの関係はあれこれ細かくて、リアルな恋愛漫画を読んでるみたいです。
でもそのおかげでてっこが感染した後の出来事や主人公の回想もろもろがすごく身に迫ってくる。
私には経験ありませんが、いろいろあって仕方なく自分から切り出して別れた女の「情」に後から気づくような感覚でしょうか。私には経験ありませんが。
主人公の怖がりさん度や妄想癖も漫画の方が極端に描かれています。漫画では妄想がはっきり絵で描かれますが、後にZQNが現れた現実と主人公の心象がそこでつながっているのかな、とか、おかげで主人公が、ZQNパニックが起こった世界に順応できてるのかなと思いました。
そのあたり映画でやろうとするとわけわかんなくなっちゃいそうで難しいだろうな。
おかげで映画版では、てっことの関係はこれはこれでリアルだけどいやーな恋愛ドラマを見てるみたいでした。身につまされる方もいたのではないでしょうか。私は経験ありませんが。
漫画版ではパニック発生後デマに踊らされる人や、ネットでのやり取りなどが詳しく描かれますが、映画ではちょっと掠る程度でしょうか。
あと映画版は比呂美ちゃんがかなり簡略化したキャラクターになってましたね。
原作では8巻まででは比呂美ちゃんにはまだ謎がある感じでした。
映画との比較でいろいろ勝手に書きましたが、漫画単独の感想としては、作中で主人公鈴木英雄は、自分が描く漫画には主人公がいないと言われ、英雄本人が自分自身が脇役なんだと悩むけれど、その英雄がなんだかんだ言い訳したり謝ったりして生き延びて行く間にヒーロー的な行動もするようになり、読んでいる方も脇役だとか目立たないとか関係ないんだなと思うようになる、そういうところが丁寧で自然で良かったです。
社会がぐしゃぐしゃになった時、ぐしゃぐしゃに対応して生き延びつつ、それまでに培ってきた誠意とか倫理観とかを捨てずに生きた人がヒーローになるのかな、と思いました。本人が望むか否かに関わらず。
続けて9巻以降も読むことにします。どーなっちゃうんだろう。
映画だけ鑑賞した時点の感想はこちら→立派な日本のゾンビ映画『アイアムアヒーロー I AM A HERO』を観たよ
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コメント
[…] →先に映画を観てから原作漫画『アイアムアヒーロー』を8巻まで読んだよ。 […]