ずっとクライマックスなんだから面白くないわけがない 半藤一利『日本のいちばん長い日(決定版)』を読んだよ。

映画化されたものは旧作も新作も観ていましたが、原作になったものを読むのは初めて。
ただし1965年のオリジナルに加筆修正して1995年に発行された「決定版」。あとがきによると、誤りを正し、1965年には公表できなかった事実などを書き加えているそうなので、この「決定版」を読めば基本大丈夫だと思います。1965年版との差異も気になるといえば気になりますが。

映画も面白いんだけど、考えてみれば玉音放送がされるまでの8月14日午後〜15日正午までを核にして、そこで起こったことを時系列で並べたら面白いに決まってるよね。並べるだけの材料を集めるのは途方もなく大変だけど。

文献にもあたったが、直接の関係者の証言を重視したとのことで、巻末に、証言してくれた大量の人びとの名前と取材当時の肩書きが記されている。
文章は記録的、ドキュメンタリー的なものと小説的なものの中間の感じ。文献だけをあたって書いていたらこうはならないだろうなと思った。
大量の主観を集めて客観にまとめていくって特殊な才能が必要だと思う。文章でいえばたくさんの他人が語った一人称をまとめた上で三人称に変換してなおかつ語り手の主観を残し、かつ他の証言との整合性を保つ、みたいな。
注で、いくつかのエピソードには異なった説もあるということを記しているが、おそらく筆者が大量の取材で得たものを合理でかたどり、推測も合理で筋を通し、それが本文として結晶しているのだろう。

ただ、労作で、内容も、その手法も、学ぶことが多い傑作だと思うが、敗戦のその当日を想像すると、この本に主に登場する人々は、ポツダム宣言を受け入れ、敗戦を受け入れ、玉音放送を無事にとり行おうとする人々も、信念に従い、嘘をついてでも徹底抗戦を訴える人々も、そして自決した人々さえ、頭の中の判断で行動できたという点で、その日の半面でしかないように思ってしまった。
その日に大量にいた、玉音から遠く遠く離れた前線にその身を置いた人々の主観はここでは語られない。
語られないが、その語られない半面の存在を感じさせるということがリアルということだとも思った。繰り返しになるが、学ぶところの多い傑作。2度も映画化されているものに対して今さらだが、未読の方は映画だけでなく是非。何より面白いですよ。

日本のいちばん長い日(決定版) 運命の八月十五日
半藤 一利

B009DECOQC
文藝春秋 1995-06-25
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*映画の感想はこちら

新作→『日本のいちばん長い日』を観たよ
旧作→『日本のいちばん長い日』(昭和42年)を観たよ


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