今週は会社でとてもとても嫌なことがあって、私の「こいつ死んじまえリスト」に久々にひとりの名前が追加された。
このリストに入れたらホントに死んじゃった奴がいるので新メンバー追加には慎重になっていたが、今回のこいつは死んでもいいや。家族がいるらしいけど知ったこっちゃない。
で、すごく嫌な気持ちで数日過ごしてたんだけど、あ、先週からだ。
先週から引きずった仕事のトラブルで嫌な日々を過ごしていたんだっけ。仕事のトラブル自体は対応すればいいだけなんだけど、そこに歪んだ人格がからむととたんにややこしく不愉快なことになる。
でも今日話したいのは「不愉快」サイドのことじゃなくて。
報告したいのは、そうやって私が不愉快なことになっているのを見て心を痛めていた人がいて、今日、そのことについて解決策も含めて話してくれたこと。
なんだろう、この「救われた感」。
解決策がうまくいくかはこの際どっちでもよくて、大事なのは、私が苦しんでいるのを見てる人は見てたってこと。そしてそれを私に伝えてくれたこと。
まともな感覚の人間が自分を見ててくれるのってものすごく大事で、こういうので救われるんだなーと思ったね。いい歳して。
だから自分も。
誰かが嫌な目にあってる時って話しかけるタイミングとか難しいけど、解決することはできないかもしれないけど、見ているよって伝えるだけでも役に立てるかもしれない、と思った金曜日でした。
え?
死んじまえリストで誰かが死んだの本当かって?
そこかよ。
本当です。1年ちょっとかかりましたが。
え?
そんなデスノートみたいなの現物であるのかって?
現物っていうか、私の脳内にあります。脳内なので「デスノート」じゃなくて「デス脳」って呼んでます。
それじゃ「脳死」か。