日本語の乱れが初めて危惧されてから今年で50周年。
私もいいかげん日本語の乱れを危惧して最近の若いもんに「その日本語は間違ってるら」と指摘してウザがられてもいい年頃になったわけだが。
実際は真反対で、「だいたい通じりゃいいら。なんなら通じなくてもそれはそれでいいら」という心境になってきている。
歳をとって “こだわり” みたいなものが擦り切れてしまったのは確かだが、他にも理由がある。
ずっと昔、「VOW」っていうのがあって(今もあるのか?)、世間の変なものを集めては本になったりしてたんだけど、中国製の花火の説明文とかめちゃくちゃで、「どらかせんにせんこらで火をつけるとぢぬんのうえをぐろぐろかいてんします」みたいのがあって、これは誤植というより、これでいいんだ、もしくは別に正確である必要はないんだ、みたいなところから生まれたものだと思うんだよね。
当時はゲラゲラ笑ってたけど、なんか今はもうそういうんでもないな、と思うようになってきてて、だって最近の amazon の商品紹介の日本語とか変でしょ?言葉遣いも変だし、話の途中なのにぶっつり切れてたり、たどたどしいったらありゃしない。
先日買ったことを報告したBluetoothイヤホンの説明書もこんな感じ。
それを「自動的」というのかよ、と。
あと、これ。ちょっとした言葉遣いだけど、あまりこういう言い方はしないよね。
柔道部かよ。
こういうのもあった。ちょっと哲学的かな。
そんなこと言われてもなぁ。
ともにVOWで笑って生きてきた妻とはこういうのを見つけては「ぐろぐろかよ」と突っ込んできたが、きっともう笑ってる時代ではなくなってきたと思うんだよね。
日本語ネイティブとしては、こういうのを意味を汲んで理解する、とそういう態度で臨むべきだと思うようになったんだよね。言葉遣いや言い回しがおかしくてもこっちから意味を拾いに行く態度が大事なんじゃないかと。
イヤホンの説明も、自動か自動じゃないかなんてこだわるところじゃなくオンになりゃいいじゃないか。多機能キーを押せば電源OFF内なるんだよ。三番目のは多分、「あなたの体の一部です」ぐらいのニュアンスなんだよきっと。そのくらいでいいよ。分解や修理をしなきゃそれでいいってことだよ。
正確な翻訳にコストや時間をかけるより、商品に力を注いでガシガシ売っていくと、そういう荒っぽさが今や必要なんじゃないかと、正確に翻訳しないと製品の信頼性も毀損するとかそんな考えは捨てろよ日本人。と、そういうところまで思いが及んだのでした。
細かすぎんだよいろいろとさー。うるせぇってんだよ(←仕事でなんかあったらしい)。