なんだか眠れないままベッドの中で午前2時、午前3時、午前3時半、午前3時40分、午前3時45分、と過ぎてゆき、そんなに眠れないなら起きてりゃいいや、と起きてみた。
眠れない間はいろいろ考えたりしているが、特に心配事があって眠れなかったわけではない。むしろこの2週間くらい会社で懸案だったあれこれが片づいて、久々の悩みゼロの週末であった。
心配事があろうが無かろうが眠れない時は眠れないんだな人間とは。
この数時間考えていたのは、こないだ買ったiPadの使い方とか、反射が強すぎて買い換えることにした液晶保護フィルムでのapple Pencilの描きごごちはどうかな?とか、やっぱり専用キーボードも欲しいな、とか、そのためにお金が必要だな、とか、久しぶりにLINEスタンプを作って少しでも足しにしようかな、とかどんなスタンプがいいかな?とか、思いついたキャラクターがどう考えても筆で手描きがぴったりくるキャラだと気づいて、そもそも目論んでいた「iPadでなんか作って金儲け」からはずれてるじゃんふふふとかそんなことだった。
そのキャラに関していろ検索していて、偶然面白いブログを見つけた。
こちら→『栗好き』
ブログやtwitterを見回せば、PVがどうの、フォロアー数がどうの、収益がどうの、更新頻度がどうのと、ガリガリキリキリした話題が多い昨今、そんなものは微塵も無く、独自のスタイルがあり、繊細で、優しさがあり、そしていろいろ事情がある、そんなブログ。
今年の1月にiPhoneをトイレに落としてiPhone8にしたのが最新記事なので、1年くらい前ということになるが、ついついさかのぼって何本も読んでしまった。
夜中に起き出してブログを書いたりしてるのも『栗好き』に感銘を受けたからだ。
ああ、俺も書きたいな、と。
私は他人の影響を受けやすいので、この文章も多分引っ張られてる。
大げさな話題でなく、日常を面白く書けるというのは才能だよなぁと、嫉妬すら覚える。
C.W.ニコルが「アフリカの象も面白いが、庭の蟻も同じくらい面白い」とどこかで書いていたのを思い出した。大げさな話題は粗く書いても「何か書いた」態を出せるが、小さな話題はそれが難しい。
粗くてもなんでも記事を大量に書け、というのが最近のブログ界隈の常識になっているような気がするが、デタラメなフォームでバットを振り回し続けるような記事、何本書いても価値は無いよ。ちゃんとしたもの書けなくなるよ。
「ちゃんとしたもの」を書くのが目的じゃないんだろうけどさ。
『栗好き』は、あれこれいちいち淡々と面白いが、いろいろ事情もあるようで、笑えるばかりじゃない。
なんていうんだろこいうの。自虐的というのとも違う。
自覚して、受け入れて、笑うとこ笑って、家族を大事にして、つまり生きている。
職場でもらったどら焼きを旦那さんのために家に持ち帰る優しさとその行方の人間臭さ。
ああ、俺もこんな風にすっきりした文章書きてぇなぁ。
などと思い悩んでるうちにもう午前5時。