『スタートレック ヴォイジャー』シーズン5まで観たら

『ギャラクティカ』と同じころに視聴開始した『スタートレック ヴォイジャー』“Star Trek: Voyager”ですが。

『ギャラクティカ』の視聴を優先させたため、やっとシーズン5まで観終わりました。

「宇宙の彼方から “地球” を目指して旅をする宇宙船」という、ざっくりとは同じような設定でありながらずいぶん趣の違う『ギャラクティカ』と『スタートレック ヴォイジャー』。

同じ時代劇でも「水戸黄門シリーズ」と「必殺シリーズ」くらい違うといえばわかりやすいでしょうか?かえってわかりにくいでしょうか?

「必殺シリーズ」のほうが好きな私は『ギャラクティカ』の緊張感、悲壮感、先のわからな感に引っ張られてそちらの視聴を優先させてしまいました。

初期の『ヴォイジャー』は、“未知の領域”を旅していると言いながら妙な安定感というか、なんだかんだあっても元に戻るというか、都合のいいことは「それ知ってる」みたいな展開があって、ちょっとゆるく感じてしまったのでした。

しかし。

何シーズンも続くことの多いスタートレックシリーズ。

「このシリーズは◯シーズンから」みたいなレビューをよく目にします。

「ヴォイジャーはセブンオブナインが加わってから」というレビューを見たのを覚えていましたが、確かにそうでした。

ボーグに同化されていたセブンオブナインが初登場したのがシーズン3の最終エピソードでしたから、「ヴォイジャーはシーズン4から」俄然面白くなったということでしょうか。

セブンオブナイン主体のエピソードだけでなく、第4シーズン以降は、凝ったSF的設定や、ヴォイジャーがいきなり大ピンチに陥ってるところから始まったり(1話跳ばしちゃったんじゃないかってくらいいきなりの状況)、ヴォイジャーかと思ったらヴォイジャーじゃなかったり、何百年も後の話に終始したりと、とにかく思い切りのいいエピソード満載で、作り手はかなり野心的、そして観ているファンがついて来られると信じて作っていたんじゃないかと思われます。

そんなSF的、ドラマ的野心に満ちたシーズン4、5でしたが、シーズン5の終盤には情緒に訴えるドラマもありました。

ドクターがセブンオブナインに恋する話とか、ちょっと泣きそうになりました。人格のあるホログラムがかつてボーグに同化されていた女性に恋するなんて、SFでなければあり得ない状況ですが、ドクターの切ない気持ちがひしひしと、「ひしひしと」なんて陳腐な表現ですが、こんな時に使うんですね、ホントにひしひしと伝わってきました。

もうひとつ、ジェインウェイ艦長の先祖の話で、地球で大きなプロジェクトを成した人物だとジェインウェイ家で伝えられていた人物、艦長が尊敬し、彼女がいたから今の自分がある、とまで思っていた人物が、調べているうちに、伝えられたような大きなプロジェクトを成してはいなかったことが徐々にわかってくる。傷つき、足元が崩れるような感覚に襲われ思い悩む艦長。並行して過去の出来事がドラマで展開していきますが、ジェインウェイの先祖はその時代で何をしたのか?これももうね、泣きそうでした。大きなことを成すだけが立派な人生ではない。大事なのは誠実であること、なんだと教えてくれるエピソードでした。

というわけで。

私のヴォイジャー視聴もシーズン6に突入しました。
ちなみにシーズン6というのは、アメリカでの放送時は、『スタートレック ディーピスペースナイン』が終了して、スタートレック シリーズの放送が7年ぶりにヴォイジャー1作になったタイミングだったそうです。
「ひとり横綱」みたいな感じでしょうか。
それだけに気合が入っていたとエグゼクティブ・プロデューサーであるリック・バーマンの言葉が残っています。最初の6本は特に力を入れたそうです。楽しみ。

世間のトレッカーからは周回遅れもはなはだしいけど、スタートレックファンでよかったな。

明日は金曜日。シリーズ新作の『スタートレック  ディスカバリー』の配信もあります。

これも楽しみ。

blinkjitu
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