日々棒組み916 直径4センチで思い悩むことなど

年に一度のお楽しみだった健康診断が5月下旬に終わり、あとは結果発表を待つばかりだった6月10日。会社の電話が鳴った。
事務のおばさんが電話をとり応対ひとしきり。
「え!」
おばさんが声を上げる。
「…あ、そうですか。今かわります…」
なんだか沈んだ様子で。
私の名を呼んだ。
「なんか、この前の健康診断のことで。胸のレントゲンに異常があったみたいで話したいって」


おいおい。

やだなー、と思ったが出ないわけにはいかないのでやだけど受話器を取った。
はじめ事務員が出て、医師が代わる。

話はこうだった。

健康診断で撮影した胸部レントゲンの左肺に直径4センチほどの影が映っている。ついては早急に呼吸器内科を受診すべきである。

おいおい。

レントゲンのデータと紹介状が欲しいか?

くれくれすぐくれすぐよこせ。

金曜日だったので月曜日会社着で送ってもらうことに。
さっそく自宅周辺で呼吸器内科がある病院を検索。

しかし。
直径4センチの影。
指で4センチ幅を作ってみる。

こんくらいか。
球形だったらデカいビー玉くらいだな。
なんだか急に。
息苦しくなってきた。

あーどうしよう肺の影って。
あれとかだったらどうしよう肺の影。
直径4センチって、もしもあれだったらどの程度なんだろう?ステージなんくらいだろう?
余命どのくらいなんだろう?
あと何回孫と遊べるだろう?
孫は私を覚えていてくれるだろうか?
へそくりの銀行口座を妻に教えておくべきだろうか?
生命保険にあれ特約つけてたっけ?
あれって診断されたらいくらもらえるんだっけ?
あれ保険はへそくりの口座に入金してもらえるんだろうか?

など。

まんじりともせず土日を過ごして月曜日。
レントゲンデータと紹介状は朝一に会社に届いていた。
やっぱり急を要するのだ。
ので。
当たりをつけていた病院に電話して午後から行くことにした。

近所に「呼吸器内科有り〼」と謳う病院はあまり無く、家族も含め行ったことはないが車で通りがかりに見かけるクリニックへ。
月曜日とかで混んでたら嫌だなと午後イチに入ると。
待合室には誰もいなかった。
感染予防にと、間を開けて座るように椅子に置かれた紙がなんだか寒々しい。感染したくてもできないクリニック。

診察の前にレントゲンとCTを撮りましょう、CTを起ち上げるのでちょっと待ってね。と言われしばし待つが、その間に患者はひとりも現れない。
ここの口コミとか検索したくなったがやめておいた。なんか怖くて。

あー。
大丈夫かな俺。
肺の影とかこのクリニックとか。
ひょっとして肺の影はあれで大掛かりなあれの治療が必要になったりしたら。
だいじょぶかなおれ、ここで。

やがて呼び出されレントゲンとCT検査。
CTって初体験だったかも。

それも終わり診察まで再びさっきの待合室。
やはり誰もいない。
さっきと違うソファに座る。
だんだん面白くなってきた。
よしわかった。
もう来んな。誰も来んな。
シーズンオフの小豆島へ新婚旅行に行った時のことを思い出す。
体育館くらいのホテルの大食堂に客は私たち夫婦ふたりきり。注文しようと手を挙げると店員が小走りで駆けてきたもんだ。

思い出にふけっていると誰か入ってきた。
お、患者か?と思いきや、なんだかベッドみたいなものを運び込んでいる。業者さんかよ。

少しするともう一人。力士みたいな体格の男が入ってきた。体格的に不健康に見える。患者っぽいぞ。高血圧とか高コレステロールとかなんかそういうの。
と思ったらワクチン接種だった。
もういいや。

そのあと二人やってきたが、労災の書類がどうとか、なんかの届けがどうとかで、診察を受ける人間は誰もやってこなかった。むしろ清々しい。

やがて診察室に呼ばれた。
健康診断のレントゲン画像と今日のレントゲン、CT画像を並べていろいろ説明。
メインの若い男の医師と、なんだか姐御っぽい年配の女医がふたりがかりで話してくる。
暇か。
暇なんだろお前ら。

診断は、
「なんかあるけど心配するような物じゃないと思われる。おそらく炎症の跡ではないか。心配なら大きな病院で精密検査するということもできるけどどうします?」
とこっちにボールを投げてよこすようなものだった。
今回撮ったレントゲンだと影の直径は2センチくらい。普通のビー玉くらいだ。
だったので、精密検査はせずに1ヶ月後にもう一度CT検査をするということで話をつけた。

診察を終えて戻った待合室は思った通り無人だった。
ま。
そんなことはもうどうでもよかった。肺の影はどってことなかったのだ。
現金で支払いを済ませ家路につく。
心配したあれではなかった。
余命宣告は無かった。
あれ保険もおりない。
へそくり口座の残高も増えない。
また孫と遊べる。

なべて世はこともなしだ。

blinkpanda
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