横溝正史作品といえば、1976年に映画化された時に『犬神家の一族』を読んだことがあるくらいで、夜中にうなされるほど面白かったのですが、他の作品を読もうとまでは思いませんでした。うなされちゃうので。
ただ、映画やドラマで「原作横溝正史」という文字を見つけると、なんだかソワソワして観られるだけ観るようにしています。
『八つ墓村』も映画、ドラマを何作か観たことがありました。
ところが。
超有名タイトルで映像化も多い『八つ墓村』ですが、どういう事件だったかすっきりした記憶が残っていません。
私の記憶力や集中力の問題もあるのですが、NHKのドラマや1976年の映画版(ショーケンと渥美清のやつ)を割と最近観たのにも関わらずそれでもどうもよくわからないこの事件。犯人の動機とかなんだっけ?
その辺りのモヤモヤ感は前にちょっぴり書きました。 →「NHKドラマ『犬神家の一族』(と『八つ墓村』)を観たら」
というわけで、もう原作を読むしかないところまで追い詰められてしまったのでした。
八つ墓村<金田一耕助ファイル> (角川文庫) Kindle版
冒頭、作者の筆として「八つ墓村」の過去の事件が語られます。八人の落武者を村人が裏切って殺した、とか村の有力者が美しい娘を手籠にした挙句気が狂って村人三十二人を殺した、とか、その三十二人殺しも含めて村で悪い出来事があると「落武者の祟りじゃね?」と言われるようになった、とかそんな話。
ここまで読んで思ったのは、『八つ墓村』の事件がどうも記憶に残らないのは、「過去の事件が強烈すぎる」からじゃないか?ということでした。
作者の解説の後、事件の当事者、寺田辰弥の手記として本編が始まります。「素人の手記なので至らないところもあると思うけど勘弁してね」、みたいなことを書いてますが、すごく上手に書けてると思いますこの手記。「この後にあんな恐ろしい目に遭うとは私自身知らなかったのです」とか、「これについての詳細はいずれ書くとして」みたいな表現で読者を引っ張り続けます。まるで雑誌連載の推理小説みたいです。
辰弥の手記が始まってからも過去の落武者殺しや三十二人殺しについて語られますが、辰弥はそれらについて初めて知り驚き、自分の出生や、現在起きている事件とも関わりがあるようなので、不自然に過去の事件が突出して見えるということはありません。長い小説なので(文庫で約460頁)、今起きている事件の描写とバランスが取れていると思います。
次々に殺人事件が起きますが、犠牲者の関係性がわからず、無差別殺人のように見えます。
やがて犠牲者の関係を示す手がかりが発見されますが、その手がかりのおかげで、かえって殺人の動機はますますわからなくなっていきます。犯人は頭のおかしい人(もっと直接的な表現でしたが)じゃないかと結論されかけたりします。
物語はやがて、村の巨大鍾乳洞を辰弥、金田一耕助らが探検して手がかりを見つけていく構造になっていきます。
その中に事件の手がかりが隠されています。それは、過去の二つの事件とも深く関わりのあるものでした。
鍾乳洞探検場面は読んでいて息が苦しくなるような緊迫感でした。
辰弥が酷い目に遭いながらもやがて事件は終息します。「解決した」というより「終わった」って感じ。
で、思ったのは、金田一耕助さん、事件を「解決」したいというより最後に「解説」したいだけなんじゃないかと、そのために色々調べてたんじゃないかと、そう感じました。
事件を解決する名探偵というよりは、過去の出来事も含めて「事件の全体像を知りたいおじさん」という感じで、そのために犯人も含めて「死ぬ人がみんな死ぬ」まで待って、全体像を完全に把握してからみんなを集めて解説するのに快感を覚える人のように思いました。
この『八つ墓村』ではその最後の解説場面で「犯人は最初からわかっていました」とか言い出したのでちょっとびっくりしました。
「でも確証がなかったので何もできなかった」と。
殺人を未然に防ぐことには興味ないみたいです。むしろ「あと何人殺される事件なのか?」ということを知りたくて、次の殺人事件をを待っていたようにも思えてきます。
小説でも映像化でも「凄惨な事件でしたが金田一さんがいい人で救われました」みたいな描写が見受けられますが、多分普通の意味での「いい人」なんかじゃないぞ耕助。金田一が超然としているから殺人事件の恐ろしさを整理して位置付けできるような気になるだけだと思います。
まぁ耕助に殺人を未然に防がれてはここでも一人か二人しか死ななかったので、読者としてはそんな金田一が大好きなわけです。
最後はハッピーエンドというか「エンドはハッピー」な感じで終わります。凄惨な事件でしたが、まぁよかったよかった。
こうして原作を読み終えて、モヤモヤしていた私の「『八つ墓村』観」もすっきりしました。何が起きていたのか分かりましたし、何より面白いですね、やっぱり。
推理小説なので詳しくストーリーを書くことは避けましたが、Wikipediaに詳細なストーリーが結末まで書かれていますので、興味のある方はどうぞ。
これによると雑誌連載中に中断時期があったそうです。
あるキャラクターが終盤で印象が変わりますが、そのあたりが原因かもですね。
Wikipediaには、映像化にあたっての原作改変も詳述されていました。
長い小説なので改変は必須かとは思いますが、これを読むと映像化作品によって改変の仕方がかなり違うようで、「『八つ墓村』観」がどうにも定まらないのはその辺りにも原因があったのかもしれません。
私の「『犬神家の一族』観」は1976年の映画がその中心にありますが、原作を今読んだらまた違うかもしれないですね。
『八つ墓村』が面白かったので、未読の金田一耕助作品も含めてまた読みたくなりました、。
こうして始まる横溝地獄。
今ならうなされないかな?どうかな?