日々棒組み845 野菜もソーシャルディスタンス

実はちょっぴり機を逸しているのですが、プランターに野菜の種を撒きました。先週。
ケイヨーD2でプランターと土(「野菜育てるためのひと通りのものは入ってます」みたいなことが書いてあった)を買ってきて、「サラダほうれん草」を撒きました。

妻に、
「邪魔にならないところならどこに置いてもいいよ」
と言われたので、邪魔にならなそうな場所を選んで置いたら他の草花に埋もれるようになったけどまぁいいや。

位置が決まったので土を入れました。
袋のはしをハサミで三角に切って、抱えるようにしてプランターに入れました。
3分の2くらい入れたところで土の袋を持ち替えたら袋の裏側に、プランターへの入れ方の図が目に入りました。
「一番下に網を敷いて、その上に石を敷き詰めて、その上に土を入れましょう」という図が描かれていました。通気が良いそうです。

今さらなに言ってんだ。
網も石もねーよ。身も蓋もねーよ。血も涙も元も子もなんもねーよ。
見なかったことにしてそのまま土を入れました。

プランターに溝をふた筋掘って赤茶色の種を撒きました。
水をたっぷり、下から水が出てくるくらいまであげました。
通気性はイマイチだけど、水はたくさんやるからな。それで勘弁してくれ。

3日めに芽が出てきました。よかった。種が窒息してるんじゃないかと気が気じゃなかったのだ。4日め5日め、芽が増えて、丈も高くなります。わさわさしてて愛おしい。

しかし。少し伸びたら「間引き」をしなければなりません。
密集して生えているのを、3センチくらいの距離になるように間引きします。
ほうれん草にもソーシャルディスタンスが大事なのです。

土曜日に間引きしました。
せっかく芽が出て伸びているのに、抜いてしまうのはなんだかかわいそう。
この前の日曜日に種を植えたね。
ちょっと心配だったけど芽を出してくれたね。
ほうれん草(の芽)たちとの楽しかった思い出が脳裏をよぎります。
ごめんねごめんね。間引いてごめんね。
でも他のみんなが生きて大きくなるためには犠牲が必要なんだ。
どんな言い方をしてもこれは口減らしなんだ。
映画『楢山節考』と同じなんだ。おっかぁ、あの山の向こうにはとてもきれいな虹の国があるだ。

しかし。
泣く泣く間引きを終えてから気づいた。
残って大きくなったやつも最後は食っちゃうということ。そして、映画『楢山節考』は観たことないってことに。

間引きした翌日。日曜日。
ほうれん草たちはなんだかぐんぐん伸びてるように見えた。
成長が悪いと間引かれてしまうと気づいて必死になっているみたいで、ほうれん草たちが不憫になった。
伸びなきゃ間引かれ、生き残って成長しても結局は食べられてしまう。
幸せってなんだろう。
もう少し伸びたら2回めの間引きが待っている。野菜栽培はかくも冷酷である。

妻に、せっかく出てきた芽を間引くのってなんか気が引けるよね、と言ったら同意してくれた。
しかし。
「残ったやつも結局食っちゃうんだけどねぇ」
と言うと、
「人間に美味しく食べられるのが野菜の幸せなんだよ」
だと。
もちろん人類の身勝手な理屈である。

linelink01
タイトルとURLをコピーしました