憂鬱な潤んだ瞳。日本でいえばあばれる君。映画『ビリー・リンの永遠の一日』“Billy Lynn’s Long Halftime Walk”を観たら

先日原作小説を読んだ『ビリー・リンの永遠の一日』。アン・リー監督の映画版を鑑賞しました。
アメリカでは2016年公開、日本でも2017年に公開予定(おそらく原作小説の日本語版出版に合わせて)でしたが、延期の末、日本では劇場未公開となったそうです。

ビリー・リンの永遠の一日 (字幕版)

イラク戦争で仲間の兵士を救おうと命懸けの行動をした19歳のアメリカ軍兵士ビリー・リン。
その様子が偶然撮影されていて、アメリカ国内のニュース番組で放送されたため、彼と彼の属する分隊は、戦争の英雄としてまつり上げられます。
映画はこの「命懸けの行動」の映像とニュースのナレーションから始まります。
負傷して倒れているアメリカ兵にふたりのイラク兵が駆け寄り、自陣に引きずって行こうとします。そこへ別のアメリカ兵(ビリー)が小銃を撃ちながら突入、イラク兵は退散します。
ビリーは小銃を投げ捨て負傷兵を運ぼうとしますが、敵を発見したのか、腰の拳銃を抜き、画面外に向けて数発撃ちこみます。

記者が捨てたカメラに偶然映っていた映像、ということで、フレームは固定されて、限られた場面しか映っていません。
しかしもちろん画面外でも放送された映像の後でも状況は動いていて、画面に映っていない場所で何があったかが後半で明らかになります。
この、可視化されて伝えられた映像と、フレーム外の出来事の「差」が、戦場で戦う兵士と、国内で日常を送る人々の「差」にもなっていて、ビリーは記者やアメフトの選手たちに、銃を撃った時の気持ちやその破壊力、素手で戦った時の気持ちなどを訊かれ当惑してしまいます。

日本語訳で400頁以上ある小説が原作なので、2時間足らずでどうなるのかな?という興味もありましたが、バランスよくうまくまとまっていたと思います。
ビリーの家族については、姉との関係にフォーカスしていますが、父親が偏屈で家族関係が良くないのは伝わるし、母親の「どこかおかしい感じ」も出ていたと思います(ただ、原作を読んでないと「ちょっぴりひっかかる程度」の描写です)。

さらに、内省的な小説の雰囲気を壊さなかった最大の理由はビリーの表情でした。
顔のアップが多いのですが、無表情なんだけど目が潤んで何か訴えてる(ような)顔、とか、口元で笑っているけど目は悲しい、とか、どの場面のアップも何か感じるものがありました。
ジョー・アルウィンという俳優なのですが、この顔のアップを映すための映画なんじゃないかと思っちゃいました。
どんな俳優かと検索したら「テイラー・スウィフトの彼氏」というワードがずらーっと並んだので調べるのをやめました。

朴訥な、日本でいえば、あばれる君みたいな印象で映画を観ていましたが、本人はモテモテ君でした。
でも。劇中のビリー・リンは、自分が童貞のまま死ぬのを心配しながらイラクへ戻って行ったことを書き添えてこの感想を終わらせていただきます。死ぬなビリー!

*原作小説の感想はこちら→イラク戦争に従軍した青年兵士(19歳)のどうしようもない違和感。ベン ファウンテン (著)『ビリー・リンの永遠の一日』“Billy Lynn’s Long Halftime Walk”を読んだら

こちらは原作小説。

ビリー・リンの永遠の一日 (新潮クレスト・ブックス)

blinkkisi
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