生き生きとした無表情。映画『宮松と山下』を観たら

アマプラで、「もうすぐ見放題が終了する」コーナーにありました。映画の存在すら知りませんでしたが、なんか気になったので鑑賞。

宮松と山下

エキストラ俳優の宮松(香川照之)は真面目に仕事をこなしていますが過去の記憶がありません。並行してロープウェイの管理の仕事も淡々とこなしています。
という設定。

時代劇の刺客の一人だったりチンピラの一人だったり居酒屋の疲れたサラリーマンの一人だったりその他大勢を演じていますが、撮影で演技をしている時以外は完全な無表情。それはもう怖いくらいの無表情。
ビアガーデンでの撮影シーンの撮影前と撮影中、撮影後の表情の変化はわかりやすかったです。特に撮影開始の瞬間のモーフィングのような笑顔は背筋が寒くなりました。物体Xのような恐怖感。
ビアガーデンのシーンでは初対面らしい同じエキストラ俳優とのぎこちないやり取りと撮影中の息のあったお互いの演技などもあり印象に残ります。
宮松はずっと「どこかおかしい感」を漂わせていますが、ビアガーデンのシーンでの他人との関わり方で「やっぱおかしいぞこいつ」という印象が強まります。

「宮松と山下」という割には宮松ばかり出てきて「山下はいつ出てくるんだろう?」と思っていたら、ある男(尾美としのり)が撮影所に宮松を訪ねてきます。
「お、ついに山下登場か?」
と思ったらそうではありませんでした。

この男が宮松の過去を知る男で、映画は後半に入っていきます。

後半になると宮松はエキストラの仕事も、ロープウェイ管理の仕事もやらなくなります。
代わりに宮松の過去についてヒントになるようなセリフや物が観客に向けて断片的に投げつけられます。
過去にはなかなか昏い出来事があったようですが、投げつけられたパーツを組み合わせても、これこれこういうことがあってこうなった、というように全貌が明らかになることはありません。
不完全なパーツをもっともらしい形になるように大体の位置に並べて、さらにそれを想像力で繋ぐということが必要になります。
ので、観客によって印象の形はかなり違うものになるかもしれません。

そんななので映画は「結局どうなったの?」というところもはっきり描かずに終わってしまいます。
なんだか扉を閉めないまま「はいおしまい。もうお帰り」と言われたような気がしました。振り向くとまだ映画の場面が続いているようなそんな後ろ髪引かれ感。
あまり経験したことのない感覚だったので、
「ひょっとしたら後半も全部何かの映画の撮影シーンだったのかな?」
とも思いましたが、回想シーンとかあるのでそういうことではないのでしょう。
むしろ宮松が、過去の出来事と向き合うことのあまりの辛さに「現実ではなくこれも撮影のひとつ」と思い込もうとしたのがあのラストなんじゃないかと考えることにしました。
前半の撮影シーンも全て断片で、こちらはどんな映画のどんなシーンかわからないまま観ているわけなので、映画内の現実も同じようなもんだよ、って製作側の意図があるのかもしれません。まぁ、無理に解釈することもないんですけどね。

面白いというよりは鑑賞中の不穏な感じが観終わってからもまとわりついてくるような、妙な力のある映画でした。
(ずっと不穏な映画でしたが、尾美としのりがタクシー運転手という役で、『あまちゃん』を思い出してそこだけちょっと笑いました)

blinkkisi

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