昨年10月、Amazonの電子書籍Kindleストアで早川書房のセールをやっていて、面白そうな本がたくさんあったんだけど購入済みの未読書籍が紙・電子合わせて大量にあったためグッと我慢しました。
ここで買ってもそれを読むまでに別の本を500万文字くらい読まなければならないとわかっていたからです。
そう思って一度は耐え抜いたのですが「まぁでも覗くくらいは…」とまた見に行ったら「お?なんかこれ面白そうだぞ」と引っかかってつい購入してしまったのがこれ。
クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』
結局3月まで読めなかったのですが(500万文字が立ちはだかっていたので)、読んでみたらこれが大当たり。どのくらいお得なセールだったか忘れてしまいましたがもうそんなことどうでもいい。

30年前の不幸な事件を起点に悪い出来事がどんどん波及してゆく展開で、その中心に13歳の少女ダッチェスと幼い弟ロビンがいて不幸が不幸を呼ぶやりきれない物語です。
ホント、「この本面白い」というのが憚られるくらいやりきれない話です。
でもめちゃくちゃ面白い。なぜでしょう?
少女ダッチェスはあまりに不幸続きの中、自分を「無法者」と規定してどんなことをしても弟を守るために行動します。そのためには暴力も違法行為も厭いません。
ダッチェスの母親の親友、警察署長(といっても署員は自分と連絡係が一人いるだけ)のウォーカーはそんなダッチェスとロビンを気にかけ、何かとかばいます。ダッチェスの違法行為も見逃します。彼女に何かあるとロビンがひとりぼっちになってしまうからです。
ダッチェスとロビンの祖父ハルも出てきますが、これがアルムおんじかビタリス爺さんみたいな感じで、初めは反抗的だったダッチェスも少しずつ心を開いて行きます。この辺りじわじわしてて読んでる方はヤキモキしますがとても感動的です。ロバート・B・パーカーの『初秋』を思い起こさせます。
春の大きな大きな愛情はダッチェスに伝わりますが、それもまた悲しい出来事で押し流されてしまいます。
ダッチェスは何にも希望を抱いていない。でも弟のために自分が行動するという堅い意思と覚悟がある。かっこいい。そんな「無法者」に私もなりたい。
でもやりきれないことが次々起きる。世界は自分とロビンには何も与えてくれない、むしろ大切なものを取り上げるばかり。人生は公平ではないとダッチェスは何度も何度も思い知らされます。
ダッチェスのセリフにこんなのがあります。
“「公平ってのは誰かがきちんと監督してるってことだよ」”
誰も公平を監督なんかしてないってダッチェスは知っているんですね。ウォーカーもそう思っているようで、少しでも公平に近づくように秤の分銅を乗せ替えているように見えます。
しかしそのウォーカーも進行性の病気を患っていて、終盤はもう満身創痍の体で、実を削るように行動しています。「幸福の王子」を思い出す展開。
そんなやりきれない物語でしたが、ダッチェスが酒場で歌を歌うシーンは感動しました。
母が歌っているのを聴いて覚えた曲でタイトルも知らなかったのですが、彼女が歌い始めると酒場の客たちが静まり返って聴き入ります。彼女の母親スターは美しい歌手だったのですが、荒んでいたダッチェスも美しさと歌唱力は受け継いでいたのです。この不公平な世界で母から「良いもの」をちゃんともらっていたのです。
ダッチェスが歌ったのは私ですらCDを持っているくらいのとても有名な曲で、つい繰り返して聴いてしまいました、ちょっと泣きそうになりながら。
原題は“WE BEGIN AT THE END”。「私たちは終わりから始める」でしょうか。直訳するとなんだかわかりにくい言葉ですが、終わったところからまた始める、人生の循環を表すような意味があるそうです。なるほど。
やりきれない出来事が連続する物語でしたが、それでもとても好きな小説になりました。
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