監督:岡本喜八、脚本:倉本聰、そして眩しいほどの豪華出演陣。
面白くならないわけがない。
でも面白くなかった。なぜだ⁈
1978年の映画ですが、今まで未見でした。
1978年といえば『スターウォーズ』が日本で公開された年ですね。
そんな時期ということもあり、公開時は「SF映画」として宣伝・紹介されていたのを覚えています。
SFっぽい要素は「U.F.O.を目撃した人間は血が青くなる」という設定だけですが、それもどちらかというとオカルト要素になっていました。
強いてジャンルづけするとしたら「オカルト社会派サスペンス悲恋映画」でしょうか。
ただ「オカルト」「社会派サスペンス」「悲恋」の三つの要素がバランバランで、観ていて置いてけぼり感だけが募っていきました。
青い血とU.F.O.の謎を追うほどに権力の壁にはばまれる「社会派サスペンス」部門。
謎追求担当の仲代達也はさすがの存在感で、序盤はサスペンス感があるのですが、追っている謎が空っぽだということが映画が進むにつれわかってきて、虚しくなってゆくばかりでした。
青い血に変性してしまった女と、政府の手先として青い血を持つものを追う男との「悲恋」パート担当は勝野洋と竹下景子ですが、こちらもなんでしょう、「愛し合ってる感」が希薄で、「いろいろ事情があっても二人でいる時は幸せ」という雰囲気もなく、しかめっ面でデートして寝たりしてるだけ。こいつら相手は誰でもよかったんじゃないの?と思えてしまいました。
それだけで一本の映画にできそうなテーマで、ある意味リアルなのかもしれませんが、束の間でも心から楽しくて幸せな場面があれば最後の悲劇も心に刺さったかもしれませんがそうはなりませんでした。
そんなそれぞれ中途半端なパートをU.F.O.オカルトと反権力、恐権力を被せてつないだのが全体の印象になりましょうか。
今見ると全てが悲しいくらい古臭いですね。
でも1978年当時でもすでに古かったように思います。
『未知との遭遇』後に「アダムスキー型円盤が大量に飛来した」と言葉だけで説明する映画を観せられてもなぁ、と思います。
U.F.O.も青い血も「(それが出自であれ思想であれ)差別の理由」のメタファーのようなので、そこにストレートに突っ込んでもとは思いますが、公開時の宣伝がそこをポイントとしていただけに、内容とのちぐはぐさが気になります。
Wikipediaには「特撮映画の本家である東宝が「特撮を一切使わないSF映画」を目指した意欲作として知られる」と書かれていますが、そんなもん目指すなよー、と言いたいです。
せめてアダムスキー型円盤をしっかり映像化していれば、「内容はアレだけどあの円盤は時々見たくなるんだよなぁ」くらいの映画にはなったのではないでしょうか。
ああ、でも、『怪獣大戦争』のX星人の円盤以上のものは無理だったろうなぁ。
そういえば『惑星大戦争』に出ていた沖雅也が謎な役で出てました。「SFっぽい役者」という位置づけだったんでしょうか沖雅也。
余計な話ですがテキサスとスコッチ夢の共演という見方もできますね。
そんなこと言ったら死神博士に牧史郎、快傑ライオン丸も出てるで〜。
というわけで、全体としては辛気臭くて娯楽度の低い映画でしたが、全共闘とか学生運動にシンパシーを感じる人、陰謀論とかすぐ信じる人なら、私が感じることができなかったものを見ることができるかもしれません。しれないかもしれません。