お昼ちょっと前。
Twitterをながめていたら「安倍元総理銃撃」という文字が。
またまたそんなデマを。
と思いながら調べたらニュースのアカウントやニュースサイトでも報じられている。
奈良で街頭演説中、背後から散弾銃で撃たれた、と。どうやら本当らしい。
ボサボサ頭で髭面の男が猟銃を構えてる姿が頭に浮かんだ。
安倍元総理は心肺停止で救急搬送されたとのこと。
午後から車で出かけ、ラジオを聴いていると「散弾銃」は「拳銃」に変わっていた。元総理の容態に関しては新しい情報は無かった。
ネットに画像が上がり始めた。
その場で逮捕された狙撃犯はボサボサ頭の髭面なんかではなく、そこらを歩いていたも誰も気に留めないような普通の男だった。
どうやら凶器は手製の銃らしいことも言及されていた。
予想される構造を解説するツイートも現れた。
夕方近くなってとても嫌なものを見てしまった。
安倍元総理と近い関係にあったという者が、「信頼できる情報源」から安倍総理死亡を知らされ、「安倍元総理は亡くなった」と、自分のSNSで公表したのだ。
そしてそれを見た有名作家がその件についてYouTubeで生配信を始めると言い出した(本当にそんなことをしたかは知らない。とても見ようという気にはなれなかった)。
それがどんなに確度が高い情報だったとしても、公式に、たとえば治療にあたっている病院からなどの発表も無い時点でそんなことを世界に公表することが必要だろうか?いや、許されるだろうか?言ってはいけないことを心に秘めるという慎みが無いのだろうか?それで何を得ようとしたのだこの人たちは。そんなことで得た利益のなんて虚しく卑しいことだろう。
安倍元総理に、心配している家族や親戚がいることに思い至らなかったのだろうか?
作家というのはそんなにも愚鈍で無慈悲無神経でも務まるものなのだろうか?そんな者が書くものに読む価値などあるのだろうか?
私はだんだん気持ちが悪くなってきた。
深いところで病に侵されているように思えた。この国が。
やがて安倍元総理の死亡が報じられた。
気持ちが沈んで泣きたくなってきた。
退社して駅に向かう道々、周りを歩く人たちが皆何を思っているのだろうかと考えずにいられなかった。
気は沈む。暗く深く。
しかし。
自動改札を抜けながら考える。
電車を乗り換えながら考える。
娘もまだ学生。孫なんかまだ2歳(ちょい前)。
私が沈んでる場合ではないではないか。
本心を言うとこの世界が恐ろしくてしょうがない。この何年か特に恐ろしくて恐ろしくてしょうがない。
でも娘や孫を怖がらせたり暗い気持ちで日々過ごさせるわけにはいかないではないか。
唐突に、人に優しくしよう、と思いついた。
この事件で何かが失われたのなら。
この事件への対応で何かが足りない人間がいると気づいたのなら。
何かが足りないばかりにこの事件が起こったのなら。
ほんの少しでもそれを埋める努力をしようと思った。
そして、日常を生きようと。
土曜日の朝は燃えるゴミを出して。
昼間は孫が来るから楽しく遊んで。
夜は少しだけお酒を飲んで。
日曜日は娘と投票に行って。
月曜日になったら(やだけど)会社に行って。
地味に日常を生きるのだ。地味に優しく穏やかに。