タイトルがネタバレ。文豪夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んだら

猫が人間を観察した記録、という変わった趣向の小説。
「猫が語り手」という最大の特徴をタイトルでバラしていてちょっと勿体無いような気がします。
猫が語っているというのは隠しておいて、徐々に「あれ?何だこれは?ひょっとして…」と引っ張る手もあったんじゃないかとちらっと思いましたが、漱石先生そんな姑息なことは致しません。正々堂々内容を表すタイトルをお付けになっています。
昨今の『誰ちゃらがどこへやら転生したらなんちゃらがどうちゃらでこうなった』みたいな本の内容説明型タイトルを鼻で笑っていましたが、元を辿ると『吾輩は猫である』に行き着くように思いました。鼻で笑っていたことを深く恥じ、この場を借りてお詫びいたします。

*この感想文も結末に触れます。ネタバレです。

吾輩は猫である Kindle版

猫が語り手ということでユーモラスな軽い読み物かと思ったら結構長いんですね、版によって差はあるかと思いますが、500ページくらいあります。
猫の飼い主の元に集まる個性的な人々の、役に立つのかったたないのか、本当か冗談か判然としない蘊蓄が大半を占めています。猫の蘊蓄も大量にあります。
この猫の一歳半から二歳頃にかけての話ですが、ものすごく物知りで頭がいいです。人間に対する鋭い批評を、どこで知ったのか海外の事情なんかも混じえながら語る語る。
ひょっとして本当は猫ではなくて、どこかで「吾輩は漱石である」とか言い出すんじゃないかと思ったりしましたが、そんなことはありませんでした。
調べたところ、猫の一歳半から二歳というのは成獣で、人間でいうと20〜23歳くらいだそうです。元気で好奇心も旺盛な頃ということですね。

漱石先生が本作について語っている短い文章がこちらで読めます。

『吾輩は猫である』上篇自序 Kindle版

雑誌「ホトトギス」に連載していたものを途中で1冊にまとめたようです。
漱石先生、こんなこと言ってます↓

“此書は趣向もなく、構造もなく、尾頭の心元なき海鼠の様な文章であるから、たとい此一巻で消えてなくなった所で一向差し支えはない。”

なるほどその通りで、思っていることを端から書いてるだけ(だけってこたないか)に思えるのはそういうことなんですね。
あと、表現がいちいち凝っていて、何となく煙に巻かれているように感じることが何度もありました。

そんななので、蘊蓄やら何やらがこのまま永久に続くのかと思っていたら唐突に猫が死んで小説は幕を閉じます。
ビールを飲んで酔っ払って、水を溜めた甕に落ちてしまい(猫はアルコールを分解できないそうです)、脱出しようとしばらく足掻いていますがやがて「もういいや」となり、死を受け入れます。「太平は死ななければ得られぬ」「ありがたいありがたい」などと言いながら死んでいきますが、見栄や強がりのように聞こえなくもありません。「生きるのは苦しい」と言いたいのかもしれません。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」
という有名な書き出しですが、名前が無いまま死んでゆきます。

1975年には市川崑監督で映画化もされています。
出演が仲代達矢、伊丹十三ってなんか面白そうですね。
吾輩は猫である(Amazonプライムビデオ)

blinkjitu
linelink01

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