『シン・ゴジラ 音楽集』を聴いたよ

映画の作り手ではない私がこんなことを言うのはどうかと思われるだろうが、新しいゴジラ映画が作られる時には決めなければいけない大事なことがふたつある。
ひとつは物語というか設定の部分で、他のゴジラ映画を踏まえるか踏まえないか。
そもそも過去にゴジラが出現したことのある世界なのかそうでないのかとか、もっと強く、ストーリー的につながりがあるのかというようなところ。
1984年の『ゴジラ』から「そういうとこはっきりさせとけ」みたいなことになって、その後のゴジラ映画を紹介するときのポイントのひとつになっていったような気がする。
『シン・ゴジラ』はどうだったかっていうと、観た人はわかってるし、これから観る人は知らないで観て欲しいからここでは書かない。

で、もうひとつ大事なことは、「伊福部昭の音楽を使うか使わないか」。
伊福部昭の音楽さえ流せばどんな動画も特撮映画の一部に見えてくるくらいの力があるけれど、それだけに取り扱いも危険がともなう。
『シン・ゴジラ』はどうだったかというと、使ってました。使いまくってました。モロに。見事に。力の限り思う存分涙が出るくらい。
今思えば、私が『シン・ゴジラ』を観た直後の大絶賛は(→至福のエンドロール!映画『シン・ゴジラ』を観たよ)、大音響で伊福部昭が流れ続ける場に身を置いた幸福感が書かせたようにも思える。

というわけで、もうしばらく幸せでいたいので買いましたCD『シン・ゴジラ 音楽集』。
CDには伊福部昭と鷺巣詩郎の音楽が映画での順番通りに収録されている(らしい)ので、聴いているとまた幸せになれる。
同梱されている解説書の、鷺巣詩郎による「各曲解説」を読んでちょっとびっくり。
「伊福部オリジナルは音楽的に一言一句たりとも決して変えない」という大前提があったのだが、オリジナルのモノラル音源そのままでは、新しく録音する曲の最新音響に埋没してしまう。
ではどうするか?
ある方法でその解決をはかるのだが、それは、音楽に全く疎い私でも「ひぇ〜っ」と言いたくなるような方法だった。
そんな、説明読むだけでも気が遠くなるある方法。
そして大どんでん返しの庵野総監督のある決断。もう一回「ひぇ〜っ」だ。

CDに収録されているのは、その大どんでん返し前の気が遠くなる方法で録音されたほうの音楽。私の耳では聴きわけることなどできないだろうが、解説を読んでから聴くとまぁ、胸が熱くなる。
そこまでのこだわりと情熱で伊福部昭の音楽を使ったのだ。怪獣映画ファンの胸に届かないわけがない。

解説書は小さな文字の印刷で、ド近眼に老眼、焦点が合う範囲が極端に狭い私は読むのに苦労したが、苦労に見合うだけのことは書いてあった。
音楽のことだけでなく、「私事」と断りながら、お父上うしおそうじ氏のことも書いていたが、そこがなんかいいんだよなぁ。
子供の頃、「スペクトルマン」とか「怪傑ライオン丸」とか「一峰大二」とかいう文字と並んで目にしていた「うしおそうじ」という文字列をここで目にすることになるとは。「わたくしごと」こそが大事で人の心を打つのではと思ってしまう。
伊福部音楽やうしおそうじという名前でこんな気持ちになれるなんて。長く生きるのもそんなに悪くないなと思うのはこんな時だね。

  シン・ゴジラ音楽集
鷺巣詩郎

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