“ 善き兵士” の作り方。映画『アメリカン・スナイパー』“American Sniper” を観たら

イラク戦争に4度従軍した狙撃手が著した自伝が原作だそうです。
実在の兵士の自伝が事実(だけ)を記しているとは限らない。ましてやその映画化をや。
なんてひねくれた話はやめといて。
どうもアメリカ製の社会派(寄り)戦争映画は素直に鑑賞できない。『ディアハンター』とかその他のベトナム戦争映画たち、言いたいことはそれぞれわからないでもないけど、どうも距離を感じてしまう。そりゃそうだ。私はベトナム戦争で傷ついたり反省はしてないからね。

『アメリカン・スナイパー』“American Sniper”


『アメリカン・スナイパー』“American Sniper”

『アメリカン・スナイパー』はイラク戦争だけど、多分この映画は基本的にはほぼ単なるアクション映画で、社会派的な要素、主人公が兵士としての適性を得ていく家庭環境だとか、兵士に志願するきっかけとか、家族愛との葛藤とか、その結末とか、それは全部現代的な感情移入の装置になってると思う。
もっと言うとこれ、戦意高揚映画なんじゃないかと思う。もしくは従軍した兵士の免罪符映画。もしくは善き兵士と善きアメリカ人は両立すると刷り込むプロパガンダ。
アメリカで普通に育った人間は、たとえ国家のためでも家族のためでも人を殺したくはないはず。
でも。
戦場で伝説になるくらい人を殺しても、(問題を抱えつつも)家庭を維持し、生き残り、仲間を助け、国家の役に立ち、尊敬され、町で感謝される。
逆に言うと、戦場で人を殺しても市民生活に(ほぼ)戻れるんだよ、とこの映画は言っている。人を殺して悩み傷つくことはあってもそれでも人として存在できるんだとこの映画は言っている。
戦争そのものの是非をまったく問うことなく、その矛盾や悲劇の解消を個人の消化力にゆだねている。
そしてそのストーリーからの出来すぎた結末。
こりゃもう殉教者の物語だ。

『アメリカン・スナイパー』は単なるアクション映画で、社会派的な要素、主人公の悩みや葛藤は、観客に感情移入させるための道具、もしくは戦争映画を楽しんでしまう観客のための免罪符なんだと思う。
戦争に関して本気で問題提起をするのなら、主人公クリス・カイル が最期に会った帰還兵エディー・レイ・ルースの物語こそ伝えるべきだと思うけど、そんな映画、鬱で観てらんないだろうなぁ(エディー・レイ・ルースについてはこちらを参照→『アメリカン・スナイパー』を殺害した男の壮絶な半生に迫る)。

というのが日本で生まれ育ち、ほぼ日本から出たことのない私の感想ですが、アメリカ人にとっては『アメリカン・スナイパー』は必要な映画なのかな、とも思いました。きっとこの映画で救われる人がいる。

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原作本:アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
 

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