お正月といえば2本立て。
ということで山口百恵主演『伊豆の踊子』と由美かおる他主演の『エスパイ』を鑑賞しました。
「エスパイ」。
なんでしょう「エスパイ」。
超能力者という意味の「エスパー」と「スパイ」の組み合わせで、超能力を使うスパイのことだそうです。
ライオンとタイガーでライガー、足袋とソックスでタビックス、モップとスリッパでモッパ、そしてエスパーとスパイでエスパイ。
冒頭、ナレーションと文字で超能力の説明があります。
テレパシーや念動力についての簡単な説明の後、こう続きます。
「これら超能力の存在が、科学的に証明されたのも、つい最近のことである」
科学的に証明されてました超能力。
ちなみに1974年公開。私は12歳。映画館で鑑賞しましたが、超能力が実在するなんてもちろん自明のことで、何を今さらでした。自分も大人になったら立派なエスパーになれると信じてました。
なれませんでした。
前年の1973年には『日本沈没』が大ヒットしていますので、小松左京原作、藤岡弘主演でもう一発当てたいという意図があったかもしれませんね。
悪い超能力者集団が、能力的にも倫理的にも劣っている普通の人間たちを皆殺しにするための戦争を起こそうとするのを正義のエスパイが食い止めるってお話です。
しかしエスパイも人間。人を殺して悩んだり、捕らえられて拷問されたり、捕らえられて薬物投与されて下着で踊ったりします。踊るだけでなく下着を引き裂かれたりします。
マリア(由美かおる)が下着を引き裂かれるシーンは小学生には強烈で、しばらく脳裏を離れませんでした。
このシーンの効果もあって、12歳の私は大変面白くこの映画を鑑賞しましたが、大人になってからDVDで観た時はなんかいろいろちゃちく感じて、「なんだこりゃ?」でした。
だったのですが、今回はけっこう楽しく鑑賞させてもらいました。
お、ここいいじゃん、というシーンがいくつか(いくつか?)ありました。
廃工場での闘いで、田村(藤岡弘)が、大きな窓を背景に逆光で走り抜けるシーンはかっこよかったです。
まぁ「アハハ、なんで?」というシーンや展開も多々ありましたが、それが気になって「ダメこれ」にはなりませんでした。
私自身が歳のせいで体が動かなくなってきたので、ただ走ってるだけでもすごいアクションに感じるのかもしれません。
2本目はこちら。
山口百恵主演映画第1作、ですね。
こちらも1974年公開。
『エスパイ』と2本立て公開でした。ので、これも小学生の時に観ています。
山口百恵のアップに宇野重吉のナレーションで始まります。
「私が踊り子の顔をはっきり見たのはこの時が初めてであった」
もうここからほぼ恋する書生川島(三浦友和)目線。観客もみんな恋する書生目線。
なので、画面に踊子かおる(山口百恵)の姿ばかり映っても不自然ではありません。
ちなみに宇野重吉は1963年の吉永小百合版『伊豆の踊子』にも出演、ナレーションをしています。
ナレーションは書生の回想、小説でいえば一人称なので、宇野重吉の若い頃の話を何度も聞かされていると想像するとちょっとおかしいです。相手によって「吉永小百合そっくりの娘だった」とか「山口百恵にクリソツじゃった」とか言うのね。
はい。
余計な話でしたね。
かおるは全く子供なんですが、川島に好意を持つことでちょっとだけ大人方向に進みます。
川島といても完全に無垢だったり、妙に意識してはにかんだりと安定しません。これが恋というものなのでしょう。
山口百恵はその、全然子供、でもちょっぴり大人をうまく演じていたと思います。
『エスパイ』の(由美)かおるさんは下着を引き裂かれますが、こっちのかおるはそんなひどい目には会いません。
時々お座敷の酔客にからまれたり、スケベ親父に目をつけられたりしますが、家族がガッチリガードしてるので心配ありません。
書生と旅芸人一行は、一緒に旅をしながらお互いの身の上を話すくらい親密になりますが、村の入り口に「物乞い旅芸人村に入るべからず」という立て札があったり、泊まる宿は別々だったりと、書生と踊子、旅芸人では「身分」が違い、人々のセリフにもそれを感じさせるものが随所にありました。
大正末期が舞台となっていますが、旅芸人たちは、表面的にはこれら差別的扱いを当たり前のこととしてどうということもなく受け入れ生活し、茶屋の婆さんや旅館の中居さんもなんの疑問もなく差別しているように描かれていました。
ただ、一歩間違うと悲惨な境遇に落ちてしまうだろうな、という空気はありました。
それをはっきり見せられるのが、かおるがやっと出会えた幼なじみのきみちゃん(石川さゆり)が重い病気で死にかけていた場面でした。
きみちゃんの世話をしている女にかおるはこう言われます。
「うかうかしてると今にお前さんもこうなるんだよ」
きみちゃんは間も無く死んでしまい、遺体は人夫に運び出されます。葬式もせずに遺体は捨てられてしまうのです。
かおるのお土産の修善寺のお守りも踏みにじられます。
小学生だった私は、踊子と書生の微妙なやり取りや、周りの大人の思惑などはよくわからず忘れていましたが、この場面だけは覚えていました。石川さゆり、天城越えずに死亡。
こういう描写もあるので、書生と踊子の心がどんなに接近しても、ああ、この恋はここだけのものだな、とわかります。
冬休みは大島(かおるの故郷)へ行きたいなどと言う川島ですが、絶対行かなかったでしょう。
「夏だけの恋」というのは大正時代からあったんですね。
というわけで今回は1974年に2本立てで公開された『エスパイ』と『伊豆の踊子』を鑑賞しました。
でもなんでこの組み合わせだったんだろ。