吉川英治『宮本武蔵』を読んだよ(読了)

前回、半分強読んだあたりで感想を書きました(→吉川英治『宮本武蔵』を読んでるよ)。
そこで私、こう書きました。

“もう一生読んでいたい”

すいません。
あれ、訂正します。
物語には相応の長さがある。それを過ぎると物語は死ぬ。
お詫びします。お詫びして訂正します。(参照→吉川英治『宮本武蔵』を読んでるよ

だってさー。
後半なんだかちんたらしてんだもん。
ちんたらしてる割には細かい事件がいっぱい起こって細かく解決するんだもん。

たいてい昔恨みを買った誰かに偶然見つけられて襲われてピンチになるけど偶然通りかかった誰かに偶然助けられるのね。
武蔵だけじゃなくてみんなでその繰り返し。なにあれ。

武蔵が後半人間ができてきて争いを避けるようになったため、武蔵を襲うのは以前の因縁ばかり。また吉岡関係かよ、とか、忘れた頃にお杉ばばぁとか。
新聞連載の小説だったというから、一日単位、週単位で「引き」が必要とされたのだろうけど、お通なんかそのいい道具でいつもひどい目にあってたよ。
でもお通はすごいよね。どこでどんな目にあっても自分の生きる場所を見つけて生活してる。で、武蔵に会えるかもしれないと思うとパッとそれを捨てて振り返らない。たいしたもんだ。
お杉ばばぁにはいつもだまされ、裏切られてたけど。苦労しても学ばない女、お通。

それにしても最終「円明の巻」に入って人々の去就がばたばた明らかになる。行方不明だったり囚われていたものが実はこんないきさつで今ここにいますみたいにわらわら出てくる。途中読み飛ばしちゃったんじゃないかと思うくらいの唐突さ。
「引き」のために泳がせていたエピソードの回収が行われたのだろう。それにしても度を越した都合のよさ。みんな集まってくる。
こんなにみんな集める必要あるのかよ。舞台挨拶かよ。
でも武蔵のお姉さんだけは前半で行方がわからなくなってそれっきりなんだよね、なんでだろ?

だがしかし。
その発表形態による無理な「引き」、予想外の人気による連載の長期化(想像だけど)による無意味なエピソードの増加、連載終了決定による駆け足展開(これも想像)などをものともしない大きなスジがこの物語にはあったのだ。

そう、巌流佐々木小次郎との試合という大きな物語の集約点が。
小次郎も登場からしばらくは鮮烈であったが、俗世の野心が明らかになるにつれ、「強いけどちっちぇーやつ」みたいな印象に堕していった。対する武蔵がそんな野心や剣の強さなどに価値を見つけられなくなっていくので余計卑小さが強調されていくばかり。
しかし、試合が近づくにつれ、いよいよ物語は盛り上がっていく。世間の関心も高まるばかり。
このあたりの武蔵と小次郎の態度や、周囲の人間との接し方が対照的で面白い。ずっと対照的に描かれてきたふたりだが、小次郎は試合に臨んで、今まで利用してきたものに邪魔されて集中できない様子、対して武蔵は試合に余計な意味を持たせないよう、支持者の世話にもならず、ひとり試合の期日を待つ。待ちすぎて遅刻する。元祖遅刻魔宮本武蔵。

試合の結果はネタバレになるので書かないが、武蔵が島に上陸するシーンとかすごくカッコイイ。
結末はとてもあっさりしてて香港のアクション映画みたいだった。

宮本武蔵 08 円明の巻
吉川 英治

B00G3TA4OY
2013-10-22
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools

タイトルとURLをコピーしました