世界を知るために読んだ3冊の本

自分が生きている、そして、子どもたちが生きてゆく世界について少しでも知りたいと思い読んだ本3冊をご紹介します。

世界を知るために読んだ3冊

1冊目は、書店で見かけるたびにどうにもタイトルが気になっていたこの本から。

『誰が世界を支配しているのか?』


ノーム・チョムスキー『誰が世界を支配しているのか?』“WHO RULES THE WORLD? ” by Noam Chomsky

この世界には支配者がいるようです。誰でしょう?
チョムスキーによるとそれは “米国” だそうです。
支配の画策が始まったのは1939年。第2次世界大戦が勃発した時に米国で設立された「世界平和研究会」は戦後の世界秩序を立案、戦中不明確だったソ連対ドイツの勝敗を見定め、1945年に戦争が終わる頃に政策を提案しました。
もともと米国の戦争勝利を確信した政策でしたが、ドイツが破れたことによって西半球、極東、旧大英帝国、西ヨーロッパ、中東のエネルギー資源、さらに可能な限り広い範囲を「大領域(グランドエリア)」として米国が支配する計画となりました。
そしてそれはおおむね忠実に実施されているとチョムスキーは書いています(本書「日本の読者の皆様へ」より)。

米国は計画的、自覚的に世界の支配を進めてきたのです。
その基本方針は、そもそも「世界は米国のものである」「すでに持っているものについては扉を閉じて他国に渡さず、まだ持っていないものは「門戸開放」の原則に従って、奪う」というもので、以降の本文でその具体的事例を挙げて行きます。
以下印象に残った記述をいくつか引用します。

歴史についての健忘症は危険な傾向だ。それは道徳や知的な高潔さをむしばむだけではない。同時にこれから起こる犯罪の温床となるのだ。(第三章)

 

米国とヨーロッパは、「安定」の脅威になるとして、イランを処罰することで団結している。厳密にいえば、「安定」しないとは、米国の要求に服従しないという意味だ。(第四章)

 

米国務省は中国に対し、「国際社会」で受け入れられたければ、「国際的責任から逃げてはならない」と警告している。つまり、「米国の命令に従え」ということだ。(第四章)

 

多くの国民が受け身で、無感動で、消費文化を楽しみ、弱者を憎むなら、権力者は好きなことができる。この世界で生き残った人々は、この結果について、熟考することになるだろう。(第四章)

 

グリーンスパンが好景気時代に説明したとおり、彼の政策の成功は、かなりの部分が「労働者の不安定化」に立脚していた。不安な立場に置かれた労働者は、賃上げや福利厚生を要求せず、仕事を失うよりはマシだと生活水準の低下を受け入れる。ネオリベラルの基準では、この状態は「非常に好ましく…健全な経済が期待できる」そうだ。(あとがき二〇一七年版によせて)

最後の引用など、日本でも全く同じことが行われていますが、そもそもアメリカの求める「安定」や「国際社会で受け入れられる」基準を忠実に、思考停止して(もしくはそのふりをして)守っているのが日本という国なので、当然のことなのでしょう。
労働弱者を大量に作り出して、国民が、ひいては日本という国がみるみる疲弊していくにもかかわらず対米従属がやめられないのはなぜでしょう?
うっすら思うところはありましたが、それに明確に答えてくれたのが次に紹介するこの本。

『国体論 菊と星条旗』

 


白井聡『国体論 菊と星条旗』

「国体」というのは太平洋戦争の敗戦の時に降伏の条件として日本がこだわっていた「国体護持」の「国体」のことです。
「国体」は敗戦を目前にして突然登場したものではなく、戦前はもちろん戦後も存在し続けていると筆者は語ります。

現代日本の入り込んだ奇怪な逼塞状態を分析・説明することのできる唯一の概念が「国体」である。(序–なぜいま、「国体」なのか)

1868年の明治維新、近代国家の成立から1945年の敗戦までを戦前の「国体」、以降を戦後の「国体」とすると、戦前の国体は約77年続いたことになり、それは大正までの「形成期」、大正から昭和、満州時変前くらいまでの「相対的安定期」そして戦争へ向かって行く「崩壊期」に分けられ、戦後70年を過ぎて振り返ると、戦後の「国体」も同じように「形成期」「相対的安定期」を経て、1991年のソ連崩壊による冷戦終結、国内ではバブル崩壊あたりから「国体」も「崩壊期」に入ったということです。

では「国体」とは何なのか?
戦前の「国体」は天皇制でした。そして戦後の国体はアメリカである、というのが著者の論です。
概略としては、戦前の「国体の形成期」は「天皇の国民」、「相対的安定期」は「天皇なき国民」、「崩壊期」においては「国民の天皇」であったが、戦後においてはそれぞれ「アメリカの日本」、「アメリカなき日本」、「日本のアメリカ」として対応しているそうです。
これだけでは何のことかわからないと思いますが、この本1冊で説明されていることなので、説明しようとすると全ページ丸写しにすることになります。
非常にわかりやすく書かれていて、内容こそ恐ろしいものを含んでいますが、読んでいて「腑に落ちる」気持ち良さがありました。
もう少し書くと、日本の「国体」としての「アメリカ」というのは具体的には「日米安保体制」とそれに付随する各種協定のことで、それが「天皇制」や「憲法」の上にかぶさってこの国を規定しているということです。従属も隷属も逆らうも何もそういう国として70年以上生き延びてきたんですね。
天皇制の是非とか憲法改正問題とかにエネルギーを使っているのはなんだか虚しく見えてきます。
チョムスキーの本でもわかるように、世界を支配しているのはアメリカなので、日本も支配されているのですが、こんな形で全面的に自ら進んで支配されているのは世界中で日本だけだそうです。

戦後の国体は現在崩壊期。冷戦終結後に合理的な(少なくとも合理的に見せかけられる)存在理由を失った国体(日米安保体制)は無理やりでもでっち上げでも存続理由を必要としています。
戦前の国体崩壊期(敗戦時)、「国体護持」にこだわり、誰が(何が)利益を得て生き延び、誰が生活や人生を奪われ命を失ったか。チョムスキーの言葉をもう一度挙げておきます。

歴史についての健忘症は危険な傾向だ。それは道徳や知的な高潔さをむしばむだけではない。同時にこれから起こる犯罪の温床となるのだ。

現在、崩壊を続ける戦後国体の中で自分だけは利益を得よう、自分たちだけは生き延びよう、としている者がなんと醜く矮小なことか。
理性的でわかりやすく書かれた本ですが、現安倍晋三政権の言動に触れる箇所では怒りのこもった記述があり、著者の危機感を感じました。
そしてその怒りや苛立ちは、安倍晋三の名前の文字から新元号を決めようとして、それでマジ喜ぶ総理大臣や、それで安倍晋三はご機嫌よろしくなるだろうと忖度する「一部のおかしな人たち」だけでなく、そんな一派の長期政権を認めている人々(我々だ)にも向けられます。

安倍政権は、夜郎自大の右翼イデオロギーと縁故主義による醜態をさらし続けたが、それが長期政権化した事実に鑑みれば、原因を「一部のおかしな人たち」に帰することは到底できない。世論調査によれば、安倍政権支持者の最多の支持理由は「他に適任者が思い当たらないから」というものであるらしいが、言い得て妙である。現在の標準的日本人は、コンプレックスとレイシズムにまみれた「家畜人ヤプー」(沼正三)という戦後日本人のアイデンティティをもはや維持することができないことをうっすら予感しつつも、それに代わるアイデンティティが「思い当たらない」ために、鏡に映った惨めな自分の姿としての安倍政権に消極的な支持を与えているわけである。この泥沼のような無気力から脱することに較べれば、安倍政権が継続するか否かなど、些細な問題である。(第八章「日本のアメリカ–「戦後の国体」の終着点)

もうひとつチョムスキーの言葉を再掲します。

多くの国民が受け身で、無感動で、消費文化を楽しみ、弱者を憎むなら、権力者は好きなことができる。

偶然ですがチョムスキーの『誰が世界を支配しているのか?』の後でこの本を読んだことで相互に補完され、理解が深まったのではないかと思いました。

そして3冊目。なんとまたチョムスキーに戻ってきます。
別にチョムスキニストではなくて全く偶然です。たぶん。

『人類の未来―AI、経済、民主主義』

 


ノーム・チョムスキー , レイ・カーツワイル , マーティン・ウルフ , ビャルケ・インゲルス , フリーマン・ダイソン『人類の未来―AI、経済、民主主義』

五つの分野について、五人の専門家にインタビューしていく形式になってます。
各章見出しはこんなです。

1 トランプ政権と民主主義のゆくえ ─ノーム・チョムスキー
2 シンギュラリティは本当に近いのか? ─レイ・カーツワイル
3 グローバリゼーションと世界経済のゆくえ ─マーティン・ウルフ
4 都市とライフスタイルのゆくえ ─ビャルケ・インゲルス
5 気候変動モデル懐疑論 ─フリーマン・ダイソン

チョムスキーは、アメリカが世界で行っている戦争行為の動機を語り、非難しています。その上で、日本の自衛隊が集団的自衛権を行使できるようになった法改正に関する話題でこんなことを言っています。

日本がNATO軍と共に「集団的自衛権」と呼ばれるものを行使するということは、すなわちイラクや中東の国々を破壊するということを意味するのです。

 

ヒトラーがポーランドを侵略した際に使ったのが「自衛」という理由でした。「無謀なポーランドのテロ行為」からドイツを「自衛」するということだった。

「自衛」など、戦争行為を都合よく正当化するために使われている言葉にすぎないということでしょう。

日本の平和憲法は、完璧ではないにしろ、おそらく世界中が見習うべきものです。第二次世界大戦後に生まれた、重要な進展だったと言えます。それが崩されていくのを見るのは、残念としか言いようがありません。

チョムスキーはシンギュラリティに関しては否定派で、「空想です。完全なるファンタジー」と言い切っています。
膨大なデータ収集やそれを処理する計算能力がいくら上がったところで、「知性の本質」に至ることはない、ということのようです。

第2章のカーツワイルはそのシンギュラリティという概念を広めた人。
カーツワイルは、「知能」をどのように定義しますか?という質問にこう答えています。

「限られたリソースを使って問題を解決する能力」というように理解しています。

例えば「時間」がリソースの一つで、問題を解決できても時間がかかりすぎては「知能」が高いとは言えない、と。

第3章のウルフは「英フィナンシャル・タイムズ紙」の経済論説主幹という肩書き。
世界経済とかグローバリゼーションについて語っていますが、

結構たくさんの人たちがアメリカ嫌いなようですが、私はそうじゃない。代わりがないですから。世界のシステムはアメリカによって結構うまく作られてきたのです。

と言っています。チョムスキーが語っていた、「アメリカが南米や中東で行った、自国に都合のいいように世界を作り変えるための戦争行為」で、世界のシステムは「結構うまく」作られたのでしょう。同じものを見ていても、見ている方の立場や角度や深度で違う見解になるものです。

そして、民主主義についてはこんなことを言っています。

民主主義は脆弱で、特に経済が弱っている時には、扇動的な文言に左右されがちになり、デマゴーグの台頭を許してしまう傾向にあります。

「よい人生にとって何が最も必要なのか」については、

よい人生というのは、「自分の道を自分で選べること、自分の政府に対してものが自由に言えること、臣民ではなく市民であること」の上に成り立つものであると考えます。

第4章のインゲルスは建築家で、世界中で建造物、街づくりに関わっている人で、そのコンセプトについて語っていますが、基本姿勢は、

単に一つの条件や要求に対して「イエス」と答えるだけでなく、複数の、しかも対立するような要求に対しても何とかしてすべて「イエス」と答えようよいうこと。「イエスと言うことでより可能性が広がる」(Yes is more.)ということです。

だそうで、都会の利便性を持ちながら海辺や山のような自然の中に生きている感覚が得られる街とか、プライバシーを保ちながら近隣と快適な距離感で繋がりを持てる集合住宅とか、誰でも言葉にはできそうなことですが、その実践が具体的に例をあげて紹介されていました。

そして、自分の仕事に関して、

一番重要なのは、そこに住む人たちのことに親身になる(ケアする)ということ。この気持ちがなかったらまったくやる意味がない。建築家は彼らの夢や希望や背景を理解して、彼らが住みたい環境を彼らと一緒に生み出す。

と言っています。
住む人の夢も希望もお金も根こそぎむしり取って涼しい顔をしている日本のアパート経営ビジネスが、いかに貧しく卑しい三流の人間の所業かわかるってもんです。

最終章である第5章はなんとフリーマン・ダイソン!
私の中では、フリーマン・ダイソンはアインシュタインとかオッペンハイマーみたいな伝説の人カテゴリーだったので、名前だけでちょっとびっくり。
1923年生まれということなので、今年96歳ですか。すごい。

ダイソン氏は、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』の科学アドバイザーでもあったほか、「ダイソン球」や「ダイソン・ツリー」、「アストロ・チキン」など、SFにも多大な影響を与える

と紹介されています。

章名は「気候変動モデル懐疑論」ですが、気候変動そのものを否定しているのではなく、観測の信ぴょう性(平均気温の定義とか、過去の測定の正確性など)とか、他にリソースを割くべき火急の問題があるでしょ、という話でした。
「環境問題」も多岐にわたるので、所詮は取捨したデータから作られた「モデル」でしかないものをみんなでそんなに信じるなよ、というとでした。
データから作られるモデルは、何を入力して、何を入力しなかったかによって結果が変わってしまうとも言っています。
そしてこんなことも、

問題は、コンピュータモデルが非常にリアルに見えるようになってきてしまったために、それを使っている人々が、モデルと現実の区別をつけにくくなっていしまっていることにあります。

出来上がったモデルがビジュアルとしてリアルだとそれが現実に思えてしまいそうですが、そうではないということですね。
宗教に関する話の後でこんなことも言っています。

人類が洞窟生活をしていたころ、子供たちは焚き火を囲んで座り、大人たちの物語を聞いていた。このようにして文化というものが育ってきたわけです。ですから、私たちは、事実を確かめるよりも、物語を信じる傾向にあります。これが人間の本質です。

はい。もっともらしい「物語」や現実に見えるグラフィックを安易に信じないで、事実を確認することが大事ということですね。マーケティングとかだとこの「物語」こそ大事なんだとか言いますが、マーケティングの本質ってここらあたりなのかもしれません。てのは余計な話でした。

以降、様々な科学の話題、原子力発電について、いじめについて見解が語られますが、全部紹介できないので興味のある人は本を買って(ぜひ)読んでください。
最後にひとつ、若い人たちへのアドバイスを紹介します。

何かをする前にすべてを学んでおく必要があると思わないこと

それぞれ分野が違う5人のインタビューでしたが、時々話題が交錯したりして面白かったです。同じものを違うアングルで見られたような気持ち良さがありました。
意見はそれぞれですが、面白いことに5人ともおのおのの言葉で、「利己的でなく、人の役にたつ」ということが大事で、その結果、「幸せを感じる」、「結局は生存に適している」というようなことを言っていました。
肝に銘じましょう。

というわけで、長くなりましたが、私が世界を知るために読んだ3冊の本の紹介でした。最後まで全部読んだ方(もしいたら)、ご苦労様ありがとう。

blinktasu
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