この世にはいろんな「教室」があります。
『漂流教室』『暗殺教室』『暴力教室』、そして『翻訳教室』。
本書は、ポール・オースターや、スティーヴン・ミルハウザーなど、読んでるとちょっと頭が良くなった気になれる小説の翻訳を手掛けている柴田元幸が東大文学部で行った授業「西洋近代語学近代文学演習第1部 翻訳演習」を文字化したものです(まえがきより)。
子供の頃から翻訳家になるのが夢でした、なんてことは全く無いのですが、翻訳小説を読むのは好きなので読んでみました。
「翻訳小説の読み手」にとってもとても面白くて、良い本でした。
各章は、「課題の英文テキスト」「学生訳」「柴田教授と学生らが話し合いながら添削」「学生訳の修正版」で構成されています。
英語の本を原書で読むことなんか考えたこともない私ですが、この本のように小刻みな英文なら読んでみようかという気になります。わからない単語も多いのですが、すぐ後に訳文があるので、それと組み合わせてなんとなく英文を読んだ気になれます。
その後の添削、修正の話し合いでは、原文と訳文で語順を揃える原則とか、文章の「重さ(軽さ)」を揃えるための漢字と平仮名、漢語と大和言葉の使い分けに気をつかうとか、インチやマイルなど、日本では馴染みが薄い単位が出てきた時どうするか、みたいな、興味深い話が満載です。
ちなみに「1マイルは1.6キロメートル、1インチは2.5センチ、1ヤードは1メートル、1ポンドは0.45キログラムくらいは覚えておいてほしい」と柴田教授は言っています。
大きさや重さが実感できないといい翻訳ができないのでしょう。
村上春樹の小説の英語版をテキストにしたり(つまり日本語に戻すんですね)、村上春樹本人を招いての特別講義があったりで、そういう面白さもありました。
翻訳もしている村上春樹ですが、「村上春樹作品の英語版は村上春樹が英語に翻訳しているのではない」という、当たり前というか考えたこともなかった話題もあって楽しい特別講義になっていました。
自分で翻訳したり原書で読みたいという人にはもちろん役に立つ内容ですが、私のように「翻訳書を読むだけ」という人にとっても充分役に立つ、そして何より面白い本でした。
柴田教授は小津安二郎の「なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う、芸術のことは自分に従う」という言葉を引用して、「翻訳という作業は、その意味では「芸術のこと」にはほとんど関係ない」と言っています。ほとんどのことは「流行に従う」でいいそうです。
いさぎよいお言葉。
翻訳って、デリケートな判断の積み重ねでものすごく大変な作業だけどやっぱり裏方なんだなぁ。
こんな本もありました。