「自分は幸せなんだな」という暫定的な結論(その5)

努の骨を拾いに火葬場へ。再びみっちゃんの車に乗せてもらう。
いつもの火葬場。
20年前に友人の骨を拾い、祖父母や父とも別れた火葬場。
駐車場に私たちの学年の主将だったシゲがいたので声をかける。
「健康?どこか悪い所は無いの?」
と訊くと
「どこも悪くないよ」
とのこと。何よりだと思ったら健康診断とか受けてないとのこと。
ダメじゃんかよ。
ちなみにシゲも軽トラで来ていた。
なんかいいな、地元の軽トラ。
シゲとみっちゃんまーちゃんと並んで火葬場の建物に入る。

努と最後のお別れ。
すでに揃っていた親戚の皆さんや友人たちに見送られて努の棺が火葬炉に消えていった。
この一週間。
訃報からの一週間、不確かな流れの中、いつにない感情の起伏を経験したが。
何だかとてもあっけなく。努の棺は見えなくなった。

火葬が終わるまで皆で待合室へ。
お茶菓子などいただきながら待機。
午後一時半を少し回ったところ。
自宅で朝食を食べたきりだったのでお菓子とお茶だけでもありがたい。
努の思い出やそうでない思い出や近況やら話しながら過ごす。

努は何かあった時のために柔道部や大学の友人の連絡先を記していて、それを見つけた救急の人か病院の人かが柔道部関係者に連絡をくれたようだ。

「努の人工関節が火葬でどうなるか見てみてゃあだよね。残ってるのかなぁ?」

元体育教師で整体師でもあるつんちゃんが言い出した。
そうだ。努は膝が悪くて両膝人口関節が入ってたんだ。
何年も前だけど私が何かで帰省した折に一緒に飲もうと誘い駅で待ち合わせると、努が足を引き摺りながらやってきた。
怪我でもしたのかと尋ねると、慢性的なもので、医者によると若い頃にウサギ跳びをやったのが原因だとのこと。
「結構いるらしいよ」
っておいおい。
ウサギ跳びが膝に悪いというのはその時にはもう常識になっていたが、「昔やったよねー、ウサギ跳び」と軽く笑いながら話す程度のものだと思っていた。
主にウサギ跳びをしていたのは中学生の柔道部でのこと。てことは私も努と同じだけウサギ跳んでるはずなのでいつか膝にくるかと思っていたが、ここ数年右膝がうまく曲がり切らなくて正座ができなくなっていた。おのれウサギ跳び。
加齢により足首やら股関節やら体全体硬くなっているのでそっちのせいかとも思うが、ウサギ跳びのせいだということにしておこう。「加齢」よりはなんかね。

火葬が済んだという館内放送が入り、皆でお骨を拾いに、あそこ何ていうんだろう、お骨を拾う部屋へ。
20年前に亡くなった友人は重量級の選手で、ゴツい骨がごろごろしていてみんな驚いていたが、努は軽量級。普通のお骨だった。
頭蓋骨の顔面部分が元の位置関係で並べられていたが、面影のようなものを見て取るはできなかった。顔の横にころんとふたつ。手のひらに乗るくらいの丸っこいものが置かれていた。
どうやらこれが人工関節。初めて見た。

「あれが人工関節だよね」

つんちゃんが指差しながら大きめの声でささやく。
順番でお骨を拾い終わったところで今度は普通の音量で、

「これが膝の人工関節、こっちが全部のやつでこっちが半分のやつ。これが努の膝に入ってただよね」

つんちゃんが詳しく解説してくれた。元教師だけに話が長い、と思っているところに仕事で中座していたトモヤスが入ってきて骨を拾う。ギリギリ間に合った。
つんちゃんの人工関節講義がなかったらトモヤスは間に合わなかったかもしれない。意識していたわけではないと思うがナイスプレイつんちゃん。

親戚の皆さんにお礼と挨拶をして私たちはここまで。
夜はつんちゃんの教え子が最近開店した居酒屋で努を偲ぶ会だ。
そういえば以前帰省した時もつんちゃんの教え子の居酒屋に連れてってもらったなぁ。
つんちゃん、居酒屋学校の先生ですか。

火葬場で一旦解散したのは4時過ぎくらいだったか。努を偲ぶ会は6時半からなのでまたまたみっちゃんの車でホテルへ。部屋は6階だったが、カーテンを開けると街並みの向こうにでっかい富士山が見えた。
帰ってきたらすぐに寝るつもりで風呂に入っておく。
ビジネスホテルのユニットバスは狭くて、歳をとって硬くなった体では跨いで湯船に入るのもよっこらしょとひと苦労。こんなところに泊まれるのもあと何年かだな。手すりでもあればいいのに。

*ホテルの窓から撮影。ずっと裾野の富士山。

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