「自分は幸せなんだな」という暫定的な結論(その6)

努を偲ぶ会は6時半から。
会場の、つんちゃんの教え子の店は「元お蕎麦屋さんのとこにできた新しい店」と言えば市民はみんな知っているようで、89歳の私の母も知っていた。
地元を離れて久しい私は「元お蕎麦屋さんのとこ」ではわからなかったが、調べたら浅間大社のちょっと先だったので大体わかった。
と思って向かったら遅刻した。
地元民ではないから時間の目測を誤ったか、加齢による歩行速度の低下が原因か。そんなことはどうでもよくて。
扉を開けると目の前のテーブル席に同級生の(元)女子が座っていて、天井を指差し、「2階2階」と教えてくれた。
火葬場まで来ていた(元)女子のひとりで、火葬場の待合室でつんちゃんが夜の偲ぶ会の話をしていたら「私も今夜そこで飲むのよ〜」とひとしきり盛り上がった。
「努が呼んだんだね〜」と。

教えてもらった外の入り口から2階に上がると廊下の先が板の間の個室になっていて(開店したばかりで、階段も廊下も部屋もどこもかしこもきれいきれい)、すでにみんな揃ってワイワイしていた。
軽く挨拶して入場。
硬い体で空いているスペースに座ろうと苦労していたらつんちゃんがどこからともなく座布団を5枚くらい持ってきて、
「寺さんこれに座んなぁ」
と面倒を見てくれた。
見回すとみんな普通に座っている。高校時代は体が硬くて有名だった(笑い物にしていた)シゲも普通に座っている。ジジイは俺だけか。まぁありがたく座布団5枚使って低い椅子みたいな感じで座らせてもらう。あ〜楽だ。
しかし座布団5枚。なんか面白いこと言わなきゃか?
「笑点かよ」と言ってみたがあまりウケなかった。まぁ偲ぶ会だしな。

みんなの「寺さん昔ゃからだ柔らかかったじゃ〜ん」の声の中、まずは努を偲んで献杯。
そしてつんちゃんセレクトの料理が次々に運び込まれる。
串カツ、手羽先、煮込み、出汁焼き卵その他多数。全ての料理につんちゃんの解説付き。そしてどれもこれも美味しい。
料理も美味しくてお店も綺麗。その店「喜せらせら」はこちらになります↓

喜せらせら

地元の人は「元お蕎麦屋さんのとこ」でみんな知ってるので、旅行であっこいらに行く方におすすめです。地図を見るとわかりますが、浅間大社のすぐ近くなので観光ついでにもいい立地ですよ。
とちょっと宣伝。

私にとっては、LINEやfacebookで近況を知っている者もいたが、ほぼ近況を知らない者もいて、お互いその辺りを探りながらの会話に思い出話が織り込まれるので話が尽きない。

facebookといえば努もアカウントを持っていて、一時期使っていなかったが今年に入ってからまた投稿を始めていた。
主に富士山の写真を投稿していたが、私が通りがかりで撮ったいい加減な写真と違って、「初日の出と富士山」とか「月の出と富士山」「国際宇宙ステーション通過の軌跡と富士山」「真夜中の逆さ富士山」「ふたご座流星群と富士山」など、本格的なものばかりで、最後の投稿は1月30日の日付だった。亡くなる数日前だ。
私のfacebookの投稿も見ていてくれて、ふと思いついて調べたら、2月1日の私の投稿に「いいね!」してくれていた。これ亡くなる前日だなぁ。努、「いいね!」をありがとう。
AIに「運気を上げる方法」を訊いたらこんな答えだった、というくだらない投稿に少しでも笑ってくれたのならいいのだけれど。

努の話やみんなの近況、柔道部時代の思い出話やらで、偲ぶ会とはいえ楽しい時間を過ごしお開きとなったが、もう少し偲んだ方がいいんじゃないかということになり、翌日早い者以外はみっちゃん行きつけのスナックでもう少し偲ぶことに。
若い頃は時々行ったものだが、スナックなんて何年ぶりだろう?たぶん15、6年ぶりだ。
扉を開けると懐かしいあの喧騒とあの独特の匂い。
案内された席で女の子にウィスキーの水割りを作ってもらう。みんな娘くらいのお年頃で何やら感慨深い。
トモヤスはさっきまでより一層生き生きとしている。なんだこの“スナック慣れ”した感じ。
つんちゃんの教え子だか教え子の知り合いだかもいたようだが詳しくは覚えていない。ただ、私も一層楽しくなってきて、
「やばい、努には悪いけどすげー楽しくなってきた」
とつんちゃんに言ったら、

「いいだよ。それが努の供養だよ」

つんちゃんが言うならそうなんだろう。心置きなく供養を楽しんで、カラオケも歌ったりした。
盛り上がった私が歌うの、昔の中島みゆきだったりするんだけどね。

静かなみゆきの歌で他の客まで盛り上がるスナックという不思議な空間で供養していたらいつの間にか11時近くなっていた。
そろそろお開きかな、という空気が流れ始めた時、みっちゃんがポツリと言った。
「11時過ぎると石ちゃんがよく来るだよね」
えっ?!!
石ちゃん?!!
小学校の時に仲良くしていた石ちゃんだったが、私立中学校に進んだためそれきり会ってない石ちゃん。
家がお米屋で、遊びに行くと必ずプラッシーを飲ませてくれた石ちゃん。プラッシーの瓶の口の方を指に挟んで人数分持ってきてシュポシュポシュポッと手際よく栓を抜いてふるまってくれた、小学生なのに “旦那感” あふれていた石ちゃん。

その石ちゃんが!
11時過ぎには!
やって来る!
この店に!

私もいい加減飲みすぎてヨレヨレしていたが、それを聞いてドキドキしてきた。
石ちゃんもfacebookのアカウントを持っていて、投稿している地元のお祭りでの写真はあの“旦那感” そのままだった。
かと思えばディアゴスティーニのミレニアムファルコンを買い揃えたけれど「いつ組み立てるんだ?」と積み上がった箱の写真を見せて悩んだりもしていて、そんなところもなんだか昔のままだった。
しかし実物とは何十年も会ってない。ドキドキもするよ。
そのあたりで何人かは帰ったが、私は石ちゃん待ち。

そしてついにみっちゃんが言った。
「石ちゃん来たら」
振り向くとそこに石ちゃんがいた。
薄暗い店内であったが、昔と変わらない、目元だけちょっぴりジャバ・ザ・ハットに似ているような気がする(個人の感想です)、コロッとした体型の石ちゃんが。
思わず立ち上がってハグしたよ。お互い確認するように体を叩き合う。
「1号の変身ベルトがさぁ」
とか言ってる。
「こういう話できる相手がいなくてさぁ」
とか言ってる。

ひとしきり温め合った後お互いの席へ。
さぁ。努の導きか石ちゃんとも会えたし。けっこう飲んじゃったし。そろそろ帰ろうかな。
目の前のトモヤスは帰ることなんか微塵も考えていないような楽しげな様子。みっちゃんもずっしりソファに身を沈めている。
あまり遅くなるとホテルの裏側から守衛に鍵をもらって入ることになるので、私はここで退散することに。
石ちゃんにも声をかけて店を出た。
またしばらくみんなとも会えないな、と思いながらホテルへ向かった。

のだが。
翌日、みっちゃんとはまた会うことになったのだ。
というわけで(その7)へつづく。

*浅間大社本殿。建物全体を本殿と呼ぶのかと思ったら、奥の上の方にあるこの部分が「本殿」だそうです。手前は「拝殿」だそうです(間違ってたらごめんなさい。優しく指摘してください。以前「浅間神社」と書いたら「違う!浅間大社だ!た!い!しゃ!」と怒られました)。正確には「富士山本宮浅間大社」だそうです。

そして、

こちらが拝殿正面となっております。拝殿は正面の扉が開いていて、巫女さんが出入りして何かやってました。何か。
浅間大社について詳しくはこちらをご覧ください →駿河國一之宮富士山本宮浅間大社
あ、そうそう。次回最終回になります。だんだん努の話と離れているような気もしますが、生きている者はいい具合に日常に戻るべきだと、そういうことを私は表現しているわけですね(口から出まかせ)。

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