「自分は幸せなんだな」という暫定的な結論(その7・最終回)

努の葬儀(及び偲ぶ会)翌日。
もう帰るだけなのだが、せっかく帰省したので浅間大社へお参り。履き慣れない革靴で足が痛いが今日もいい天気。
拝殿でお参り、絵馬を鑑賞。湧玉池の水は相変わらず呆れるほど綺麗で見とれてしまう。

今日は新富士駅までの足が無いので自力で辿り着かなければならない。ベンチに座って検索したがどうもいい経路が見つからない。そこそこ歩くルートばかりだ。通常ならともかく、履き慣れない靴で荷物を背負ってはちょっときつい。ちょっとなめてた。
どうしよう。どうしよう。途方に暮れながらみっちゃんの家に向かう。
実は昨日、みっちゃんの車に会葬御礼を忘れてしまい、取りに行くのだ。色々考えながら痛い足で歩く。
会葬御礼みっちゃんち新富士への足が無い足が痛い会葬御礼みっちゃんち新富士への足痛い会葬御礼みっちゃんち新富士への足、みっちゃんち…みっちゃん…みっちゃん…が…が…
みっちゃんが新富士への足!

というわけでドアを開けて出て来たみっちゃんに申し訳なさを満面に浮かべて頼んでみると、
「おういいよ。送ってやるよ」
と。
なんていいやつみっちゃん。
「シャワー浴びるから家で待ってて。出るとき電話するよ」
はいっ!

というわけで今回何度目かのみっちゃんカーの客となった。
昼に近かったのでどこかで飯でもということになり、新富士駅に向かう国道沿いの人気店をあたるがどこも混んでいて、ちょっと外れたファミレスに入った。

注文を済ませ、昨日の話から。
みっちゃんによると、昨夜私が帰った後もトモヤスは絶好調で、他の客をいじったり大活躍だったそうだ。今後はスナックマンと呼ぼう。

「努、浜省が好きだったけど、あいつ大学の後輩になるだよね」
みっちゃんがポツリと言う。
書き忘れていたが努は浜田省吾のファンで、葬儀でも浜田省吾の歌が流れていた。
浜田省吾の学歴は知らなかったけどそうなんだね。
「まぁでも努も好きなことやって生きてたからそこは良かったんじゃないかなぁ釣りとか、ニュージーランドとか」
昨日もみっちゃんはこんなこと言ってたな。みっちゃんも思うところがあるのかもしれない。「死んでもよかった」とはならないけれど、どう生きたかで「死」の受け止め方も違うかな。本人は死んでるから関係ないけど。
でももし努が好きなことをやって好きに生きていたなら少しは気持ちが軽くなるかな。
友人が死んだことそのものの悲しさや寂しさの重さは減ることはないけれど、心の別のところに少し軽さを与えることはできるような気がする。
なんか上手く言葉にできないけれど。
自分が死んだ後、「苦労続きのまま逝っちまいやがって」と思われるより「好きなことやって幸せだったよねぇこの人」と思われる方が遺された人のためにもいいような気はする。
でもきっと、これから「ニュージーランド」って聞いたら努のことを思い出すんだろうなぁ。あと「浜田省吾」。

そんな話の他に、小学校のある同級生が最近亡くなったとか、やはり同級生が重い病気で入院しているとか全く知らなかったことを教えてもらった。61歳というのはそういうお年頃なのだ。やっぱり好きなことやって生きとくべきだな、と思う。

「ありがとー、気をつけて帰ってね」
「おう、寺さんもな」
新富士駅でみっちゃんと別れ新幹線へ。
1時間余りで東京駅。
上野東京ラインで北千住、東武スカイツリーラインで自宅最寄り駅までと、当たり前だが行きと逆のルートで帰宅。日常に戻るのだ。

翌日は日曜日。裏に住んでいる息子家族が玄関前に出ていたので私たち夫婦も加わり日向ぼっこ。
4月からの幼稚園を楽しみにしている3歳半の孫娘が小さな温かい手で私の両手を握り、ぴょんぴょん跳ねる。満面の笑みで私を見上げている。
爺さんと手をつないでぴょんぴょん跳ねることのどこがそんなに楽しいのかさっぱりわからないが、私も満面の笑みになっているのはわかる。
最近人見知りになった弟の方は0歳半。母親に抱かれて、ぴょんぴょん跳ねる姉と私を交互に見つめている。

「ああ幸せだな」と思う。「生きててよかった」と。
自分のことを赤ん坊が認識してくれたと感じる瞬間というのがあるけれど、あれホント、何事にも替えられない人生最上の出来事だと思う。大人がせっせと赤ん坊をあやすのは赤ん坊のためではなく「認識してくれ認識してくれ」という祈りのような気持ちの現れなんじゃないかとさえ思える。
やはり小さな子供には不思議な力がある。

考えれば考えるほど世の中不安なことだらけで、気が沈むことも多く、心配事も絶えないけれど。嫌なことや悲しいこともこの先起きるのだろうけど。
だろうけどだけどこの先何が起ころうと幸せだった多くの時間が無かったことになるわけじゃない。それらはもう確かに自分のものなのだ。
努も好きなことやって生きた(と信じることにして)。
俺もせいぜいできるだけ好きなこと(孫と手を繋いでぴょんぴょん跳ねたり)をやって生きてゆくことにしよう。

しかしでも。
同じ死ぬにしても痛いとか苦しいとか熱いとか寒いとか度外れに体中痒いとか、できるだけそういうことがありませんように、と心から願います。

おわり

*湧玉池の鴨。この二羽、ずっと並んで泳いでました。
「天気も良くて気持ちいいよねー」
「だよねー。こういうのを幸せっていうのカモ」
「うふ。そうカモ」
「カモカモうふふ」
という会話が聞こえてくるようでした(嘘)。

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blinkani
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